詩集『武器庫』発表まで
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「ルネ・シャール」の記事における「詩集『武器庫』発表まで」の解説
1927年にニームで兵役に服し、二等兵として砲兵連隊に配属された。このとき、後の映画監督アンドレ・カイヤットと知り合い、翌28年にリル=シュル=ラ=ソルグで『メリディアン(子午線)』誌を創刊した。3号で終刊となったが、パブロ・ピカソ、ラウル・デュフィ、ジョアン・ミロの絵、ピカソとともにキュビスムに参加したアンドレ・サルモン(フランス語版)や、アンドレ・ブルトンとともにシュルレアリスムの作品『磁場』を発表したフィリップ・スーポーの詩を紹介する前衛芸術・文芸雑誌であった。同年にはまた、過去数年にわたって書いた詩を初めて詩集『心の上の鐘』として発表した。友人ルイ・セリエール=ルヌーの素描3枚を含む詩画集であり、ルネ=エミール・シャールの名前で発表した唯一の詩集だが、発表後にそのほとんどを破棄してしまった。だが、早くも翌1929年にはニームで過去2年間の詩を集めた『武器庫』を発表。出版社は『メリディアン』誌と同様にメリディアンとなっている。口絵も『メリディアン』誌の同人でスペイン生まれの画家フランセスク・ドミンゴ(スペイン語版)によるものである。『武器庫』を1部、シュルレアリスムの詩人ポール・エリュアールに送ったところ、エリュアールがシャールに会うためにリル=シュル=ラ=ソルグを訪れた。以後、共同で制作したり旅をしたりするほか、後にエリュアールと彼がヌーシュと呼んだアルザス生まれの女優のマリア・ベンツ(ヌーシュ・エリュアール(フランス語版))との結婚の立会人を務めるなど(1934年)、生涯にわたって公私ともに親交を深めることになった。
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