菊池武臣とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 菊池武臣の意味・解説 

菊池武臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/30 22:44 UTC 版)

菊池武臣

菊池 武臣(きくち たけおみ、1850年11月27日(嘉永3年10月24日[1])- 1919年大正8年)11月28日[1][2])は、幕末武士、明治期の政治家華族貴族院男爵議員。旧姓・米良[1]。旧名・十郎、又十郎、亀之助、則之[1][3]

生涯

肥後国球磨郡米良小川(現在の宮崎県西米良村小川)[注 1]で、米良領主[注 2]・米良則忠(菊池則忠)の長男として生まれる[1][3][4]。父と共に明治維新に際して京都尊王攘夷派として活動した[3][4]1879年(明治12年)2月10日、家督を継承[1][3]。先祖菊池氏南朝への忠節と維新の功により、1883年(明治16年)8月、華族に列せられ、1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵した[1][3][5]

1877年以降、大蔵省紙幣局御雇、警視庁警部などを務めた[2][3]1890年(明治23年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[2]、2期在任して1904年(明治37年)6月1日に辞職した[2][6]

晩年、熊本県菊池郡隈府町(現菊池市)に移り、同地で病のため死去した[4]

親族

  • 先妻 富(鎌田出雲娘)[1]
  • 後妻 鶴(岩田永貞二女)[1]
  • 長男 菊池武夫(陸軍中将、貴族院男爵議員)[1]

脚注

注釈

  1. ^ 明治以降は宮崎県に属した。
  2. ^ 相良氏付庸無高。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 『平成新修旧華族家系大成 上巻』480-481頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』69頁。
  3. ^ a b c d e f 『人事興信録 第3版』き75-76頁。
  4. ^ a b c 『大正過去帳』192頁。
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  6. ^ 『官報』第6275号、明治37年6月2日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録』第3版、1911年。
  • 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
叙爵
男爵
米良菊池家初代
1884年 - 1919年
次代
菊池武夫



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「菊池武臣」の関連用語

菊池武臣のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



菊池武臣のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの菊池武臣 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS