能運の子孫(米良氏)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:04 UTC 版)
菊池能運は宇土為光の謀叛で肥後を追われた際に、家族を弟・重房に預け、日向国米良谷に逃亡した。能運の子は米良で成長したが後難を恐れ、菊池姓を隠し、米良重次(米良重為)と称し、米良に土着した。 その後、米良の領主として伊東氏や相良氏と結び、島津氏と争うなど、勇猛かつ政略にも長けた地方豪族として勢力を拡大し、江戸時代以後も子孫は代々大名並の扱いを受け幕末に至った。 明治維新後、菊池武臣の代に男爵を授けられ華族に列している。大名としては滅亡した名門菊池氏ではあるが、その流れを現代に伝えている。
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