熊本哲之とは? わかりやすく解説

熊本哲之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 14:16 UTC 版)

熊本 哲之
くまもと のりゆき
生年月日 1931年6月4日
出生地 日本 広島県呉市
没年月日 (2018-05-02) 2018年5月2日(86歳没)
死没地 日本 東京都世田谷区
出身校 中央大学法学部卒業
前職 衆議院議員秘書
所属政党 無所属
称号 旭日中綬章
従四位

当選回数 2回
在任期間 2003年4月27日 - 2011年4月26日

在任期間 1995年9月 - 1997年7月

選挙区 世田谷区選挙区
当選回数 6回
在任期間 1977年7月23日 - 1999年3月29日
テンプレートを表示

熊本 哲之(くまもと のりゆき、1931年昭和6年)6月4日[1] - 2018年平成30年)5月2日)は、日本政治家東京都世田谷区長(2期)、東京都議会議長(第35代)、東京都議会議員(6期)を務めた。

概要

広島県呉市生まれ。中央大学法学部卒業。衆議院議員秘書を経て、1977年東京都議会議員選挙に立候補し、初当選。6期24年にわたって都議を務める。1988年、当時の鈴木俊一東京都知事の下で都庁舎新宿への移転が行われるにあたり設置された新都庁舎建設特別委員会の委員長に就任。1995年青島幸男都政下では地方分権推進特別委員長に就任し、同年9月には東京都議会議長に就任[2]1997年7月まで)。

1999年、都議を任期途中で辞職し、世田谷区長選挙に自民党自由党推薦で立候補したが、現職の大場啓二に敗れた。2003年、再度世田谷区長選挙に自民党・保守新党推薦で立候補し、当選。2007年自民党・公明党推薦で再選。2011年の区長選に立候補せず、政界から引退した [3]

2011年、旭日中綬章受章[4]

2018年5月2日、肺炎のため、世田谷区内の病院で死去、86歳没[5]。叙従四位[6]

脚注

  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、137頁。
  2. ^ 歴代議長・副議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年4月27日閲覧。
  3. ^ 世田谷区長選7人出馬表明、自民都連と支部分裂”. 読売新聞 (2011年4月14日). 2011年4月14日閲覧。
  4. ^ 「2011年秋の叙勲 中綬章以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2011年11月3日朝刊
  5. ^ 熊本哲之さん 86歳=元都議会議長、元世田谷区長 /東京 - 毎日新聞 2018年5月8日
  6. ^ 「叙位・叙勲」『読売新聞』6月1日朝刊
議会
先代
奥山則男
東京都議会議長
第35代:1995年 - 1997年
次代
田中晃三




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「熊本哲之」の関連用語

熊本哲之のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



熊本哲之のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの熊本哲之 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS