水曜会 (すいようかい)は自由民主党の派閥 。通称は緒方派 →石井派 。1958年 中頃までは水曜クラブと称していた。
概要
旧自由党 の緒方竹虎 を領袖とする派閥として発足。
1956年 1月に緒方が死去した後、領袖は石井光次郎 が引き継ぎ、旧自由党系の中間派や小グループの結集をも目指した。
石井が1956年自民党総裁選 に立候補するも3位落選となり、2位3位連合として決選投票では2位だった石橋湛山 へ票をまとめた結果、石橋が岸信介 を破って1位当選となって総理総裁に就任した(数か月後に石橋が体調を崩して総理総裁を辞任。2位だった岸が総理総裁に就任した)。
石井は1960年自民党総裁選 にも立候補したが、次点で敗北。この総裁選では党人派 連合の代表として戦ったことからも党人派とされることがあるが、石井自身が高等文官試験 に合格して一度は官僚だったこともあり(後に退官して、朝日新聞 記者となる)、旧内務省系を中心に官僚出身者 も多かった。
比較的高齢の議員が多かったこともあり、選挙の度に勢力を減らした。1972年 に石井が引退して以降は旧石井派として存続したが、1979年 までに消滅した。
そのうち灘尾・田中伊三次・中垣・坂田の4人は石井派時代には石井派四天王 と称され、津雲は戦前 の立憲政友会 時代は石井の義父・久原房之助 直系の政治家 として知られた
脚注
^ 渡辺恒雄『派閥ー保守党の解剖ー』弘文堂、1958年、140頁。
参考文献
脚注
関連項目
前身 : 自由党 ・日本民主党
保守本流
宏池会(池田派 → 前尾派 → 大平派 → 鈴木派 → 宮澤派) → 木曜研究会 (加藤派 → 小里派 → 谷垣派 → 古賀派に合流×) 、※新財政研究会 (堀内派 → 丹羽・古賀派) → 宏池政策研究会 (古賀派 → 岸田派 → ×)、※大勇会(河野派) → 為公会(麻生派) → 志公会 (麻生派 )、※有隣会 (谷垣グループ → ×)
木曜研究会(佐藤派) → 周山会 (佐藤派) → 周山クラブ(保利グループ → 福田派に合流×)、※七日会(田中派) → 政治同友会(田中派) → 木曜クラブ (田中派 → 二階堂派 → ×)、※経世会(竹下(登)派 → 小渕派) → 平成政治研究会(小渕派) → 平成研究会(小渕派 → 橋本派 → 津島派 → 額賀派 → 竹下(亘)派 → 茂木派 → ×)、※改革フォーラム21 (羽田・小沢派 → 新生党 に合流×)
白政会(大野派) → 睦政会 (大野派) → 一新会 (船田派 → ×)、※一陽会(村上派) → 巽会 (水田派 → ×)
保守傍流
十日会(岸派 → ×)、※党風刷新懇話会 → 党風刷新連盟 → 紀尾井会(福田派) → 八日会(福田派) → 清和会(福田派 → 安倍(晋太郎)派 → 三塚派) → 21世紀を考える会・新政策研究会(三塚派 → 森派) → 清和政策研究会(森派 → 町村派 → 細田派 → 安倍(晋三)派 → ×)、※政眞会 (加藤派 → 新生党に合流×)、※愛正会 (藤山派 → 水田派に合流×)、※(南条・平井派 → 福田派に合流×)、※交友クラブ (川島派 → 椎名派 → ×)、※(亀井グループ → 村上・亀井派に合流×)
春秋会 (河野派 → 森派 → 園田派 → 福田派に合流×)、※新政同志会(中曽根派) → 政策科学研究所 (中曽根派 → 渡辺派 → 旧渡辺派 → 村上派 → 村上・亀井派に合流×) → 志帥会(村上・亀井派 → 江藤・亀井派 → 亀井派 → 伊吹派 → 二階派 → ×)、※近未来政治研究会(山崎派 → 石原派 → 森山派 → ×)、※さいこう日本 (甘利グループ )、※国益と国民の生活を守る会 (平沼グループ → 日本のこころ に合流×)
政策研究会(松村・三木派) → 政策同志会(松村・三木派) → 政策懇談会(松村・三木派 → ) → 政策懇談会(三木派) → 新政策研究会(河本派) → 番町政策研究所(河本派 → 高村派 → 大島派 → 山東派 → 麻生派に合流×)、※(松村派 → ×)、※(早川派 → 福田派に合流×)
火曜会(石橋派)、二日会(石田派 → 三木派に合流×)
青嵐会
青嵐会、自由革新同友会 (中川グループ → 石原グループ → 福田派に合流×)
保守新党
83会
水月会
さわらび会(石破グループ) → 水月会(石破派 → 石破グループ → ×)
無派閥
※は派閥離脱、太字は現在への系譜、括弧内矢印は派閥継承。
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