非核三原則(ひかくさんげんそく)(the Three Non-Nuclear Principles)
核兵器について、「持たず、作らず、持ち込ませず」という3つの原則を指す。日本政府の国是として、1967年以降の歴代内閣によって堅持されてきた。
核兵器の保有と製造については、原子力の利用を平和目的に限るとした原子力基本法によって禁止されている。また、核拡散防止条約 (NPT) の批准によって、これらの義務を負うことにもなった。しかし、「持ち込ませず」という点は、日本に寄港する米軍艦船に搭載されていないことを信じるしかない。
1967年、当時の佐藤栄作首相が衆議院の予算委員会で、日本政府の立場として「核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まない」と答弁したことに端を発する。その後、核拡散防止条約 (NPT) を批准した1976年に、国会の両議院で非核三原則を決議した。現行の防衛計画大綱にも非核三原則が盛り込まれている。
これまで、日本政府は、非核三原則を国是として堅持してきた。そのため、週刊誌のインタビューで「核武装発言」をした防衛政務次官が更迭されるようなこともあった。唯一の被爆国として核兵器の廃絶に向けて努力する姿勢は、国際社会の中でもよく知られている。
(2002.06.03更新)
非核三原則(ひかくさんげんそく)
three anti-nuclear principles
2000年8月9日、長崎原爆忌の日、長崎市の伊藤市長が「平和宣言」を読み上げた。
同宣言では、非核三原則の法制化が求められた。また、世界最初の被爆国である日本が、核兵器廃絶に先導的に取り組むことが訴えられた。
「核兵器、それは人類の滅亡をもたらすものだ。戦争を知らない若い世代の皆さん、世代を越え、国境を越えて協力し、これまでの歴史から、戦争の愚かさ、核兵器の恐ろしさを正確に学び取って欲しいのだ。来るべき21世紀を、戦争や核兵器のない「平和の世紀」にするために、共に手を取り合って行動しょう。」…一部抜粋、平和宣言(2000年8月9日)
非核三原則は、核兵器を「作らず、持たず、持ちこませず」という基本方針だ。1968年に当時の佐藤首相が政策として表した。またその3年後の1971年には、国会でも非核三原則が決議された。
(2000.08.31更新)
非核三原則(Three Non-Nuclear Principles)
【非核三原則】(ひかくさんげんそく)
「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という、日本政府の核兵器に対する見解。
1967年に当時の首相佐藤栄作が国会答弁で口にしたのをきっかけとして、後に国是となった。
在日米軍の日本国内への核持ち込み疑惑に対し、日本政府は「日米安全保障条約による重要案件の事前協議が無いから持ち込まれていない」という見解を示しているが、実際のところ、持ち込まれていたのは間違いないといわれている。
そのため「非核2.5原則」などと皮肉を込めた呼ばれ方もする。
非核三原則
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/27 16:07 UTC 版)
注釈
出典
- ^ a b c d 外務省「非核三原則に関する国会決議」
- ^ 「核を求めた日本: 被爆国の知られざる真実」p21 ,NHK スペシャル取材班 ,2012 年
- ^ a b 「核を求めた日本: 被爆国の知られざる真実」p23 ,NHK スペシャル取材班 ,2012 年
- ^ a b “高市早苗氏、ウクライナ侵攻は「遠いところの話ではない」 非核三原則「持ち込ませず」は「党内で議論を」(スポニチアネックス)”. Yahoo!ニュース. 2022年3月6日閲覧。
- ^ a b “核兵器シェアリングへの誤解と幻想(JSF) - 個人”. Yahoo!ニュース. 2022年2月28日閲覧。
- ^ 「核を求めた日本: 被爆国の知られざる真実」p46 ,NHK スペシャル取材班 ,2012 年
- ^ 「サルでもわかる日本核武装論」p24, 田母神俊雄 , 2009
- ^ “日本の「非核三原則」堅持を希望 中国外交部報道官 - 中華人民共和国駐日本国大使館”. www.mfa.gov.cn. 2022年2月28日閲覧。
- ^ 第19回国会本会議第29号議事録、1954年4月5日 - 参議院議事録情報
- ^ 野崎哲「非核三原則の形成過程について(メモ)」
- ^ 1957年(昭和32年)2月5日衆議院本会議 11国務大臣(岸信介君)
- ^ 1957年(昭和32年)2月8日衆議院予算委員会 5国務大臣(岸信介君)
- ^ 1957年(昭和32年)5月7日参議院予算委員会 161国務大臣(岸信介君)
- ^ チアン & ハリデイ, p. 148
- ^ “回收生物返回舱”. 雷霆万钧 (2005年9月19日). 2008年7月24日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c 春名幹男「『偽りの平和主義者』佐藤栄作」『月刊現代』2008年9月号,講談社。
- ^ 国会議事録検索システム
- ^ 1967年(昭和42年)12月11日衆議院予算委員会 議事録
- ^ 1968年1月30日衆議院本会議議事録
- ^ 1968年2月10日 朝日新聞
- ^ “【政治部遊軍・高橋昌之のとっておき】佐藤元首相の密約文書(上)当時はやむをえない決断 (3/4ページ)”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2009年12月26日). オリジナルの2009年12月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ 長崎新聞 2010年3月10日
- ^ 参議院事務局 (31 March 2016). 第190回国会参議院外交防衛委員会会議録第10号 (PDF). 外交防衛委員会. 参議院. p. 14. 2017年5月15日閲覧。
- ^ 参議院議員立木洋君提出核兵器廃絶に関する質問に対する答弁書 - 参議院
- ^ 衆議院事務局 (25 November 2016). 第192回国会衆議院安全保障委員会会議録第4号 (PDF). 安全保障委員会. 衆議院. p. 12. 2017年5月15日閲覧。
- ^ a b c “中露艦艇が「津軽海峡」を通過!?…日本と対立関係にある国の軍艦が通ってもOKな理由とは” (Japanese). 神戸新聞NEXT (2021年11月13日). 2022年2月28日閲覧。
- ^ a b c “核通過優先で5海峡の領海制限 元外務次官証言”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2009年6月21日) 2010年3月15日閲覧。
- ^ “核通過見込み5海峡で領海3カイリ 「密約」で政府判断”. 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター. (2009年6月22日)
- ^ “【島人の目】ノーベル平和賞”. 琉球新報デジタル. 2022年2月28日閲覧。
- ^ “外務省が二・五原則化を模索 非核三原則堅持の内閣に重い課題 密約参考人質疑”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2010年3月19日) 2010年3月20日閲覧。[リンク切れ]
- ^ ウクライナ最高議会「ウクライナ主権宣言」ウクライナ語(2007年5月21日時点のアーカイブ)・英語(2006年3月25日時点のアーカイブ)
- ^ 在ウクライナ日本国大使館「ウクライナ概観(2010年5月更新)」(2010年5月27日時点のアーカイブ)
- ^ グレンコ・アンドリー『プーチン幻想 「ロシアの正体」と日本の危機』PHP研究所、2019年、第3章2節
非核三原則
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:07 UTC 版)
2010年(平成22年)3月14日、非核三原則を堅持するとした政府(鳩山由紀夫内閣)方針に対し、岡田も堅持を表明しつつも「内閣がそれぞれ決めること。将来にわたって縛ってしまうのがいいのか」と述べ、非核三原則を法制化をする考えはないとの認識を示した。 3月17日、衆議院外務委員会で、非核三原則の法制化について「ロシアや中国の艦船が日本の領海を核を積んで通過しないという担保をどう取るのか。そういう問題に決着がつかないと、法制化は難しい」と述べ、改めて、現段階では法制化する必要はないとの認識を示し、有事の際のアメリカ軍による核搭載艦船の一時寄港については「日本国民の安全が危機的状況になったとき、原理原則をあくまで守るのか、例外を作るのかは、その時の政権が判断すべきことであり、今将来にわたって縛るわけにはいかない」と述べた。
※この「非核三原則」の解説は、「岡田克也」の解説の一部です。
「非核三原則」を含む「岡田克也」の記事については、「岡田克也」の概要を参照ください。
「非核三原則」の例文・使い方・用例・文例
非核三原則と同じ種類の言葉
- 非核三原則のページへのリンク