非核三原則の表明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:11 UTC 版)
こうしたなか1967年(昭和42年)12月8日の衆議院本会議で、公明党の竹入義勝議員が「(アメリカ合衆国からの)小笠原の返還にあたって、製造せず、装備せず、持ち込まずの非核三原則を明確にし得るかいなか、見通しを伺いたい」と質問したのが、国会議事録に非核三原則という言葉が載った最初である。 1967年(昭和42年)12月11日の衆議院予算委員会において日本社会党委員長の成田知巳が、アメリカ合衆国から返還の決まった小笠原諸島へ核兵器を再び持ち込むことへの可能性について政府に対して質問した際、佐藤栄作内閣総理大臣が、日本は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を主張するということを示した。
※この「非核三原則の表明」の解説は、「非核三原則」の解説の一部です。
「非核三原則の表明」を含む「非核三原則」の記事については、「非核三原則」の概要を参照ください。
- 非核三原則の表明のページへのリンク