趙欣伯
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趙 欣伯(ちょう きんはく)は中華民国、満洲国の政治家・法律家。北京政府、奉天派の政治家で、後に満洲国、汪兆銘政権に参加した。
- ^ 「瀋陽“九・一八”歴史博物館」による。徐主編(2007)、2277頁によると、1887年(光緒13年)生まれ。
- ^ a b c d 徐主編(2007)、2277頁。
- ^ 徐主編(2007)、2277頁によると「学士院」とあるが、「大学院」が正しいと思われるため修正する。
- ^ a b 「瀋陽“九・一八”歴史博物館」。
- ^ 「地方維持委員会で遼寧省政権を代行」『東京朝日新聞』昭和6年(1931年)9月28日。
- ^ 「奉天市政公署 支那側に引渡す 後任市長は趙欣伯氏」『東京朝日新聞』昭和6年(1931年)10月19日。
- ^ 山室(2004)、151頁
- ^ 「満州政府の閣員 昨日正式に発表」『東京朝日新聞』昭和7年(1932年)3月11日。
- ^ 郭主編(1990)、1752頁。
- ^ 「趙博士来朝 憲法制度の調査に」『東京朝日新聞』昭和8年(1933年)5月11日。
- ^ 「趙欣伯氏辞職か 綱紀問題で引責」『東京朝日新聞』昭和9年(1934年)7月18日。
- ^ 「趙欣伯氏 罷免 当分日本滞留」『東京朝日新聞』昭和9年(1934年)10月31日。なお劉ほか編(1995)、1147頁は「10月31日免職」、郭主編(1990)、1769頁は「10月11日辞職」としている。
- ^ 郭主編(1990)、1769頁及び劉ほか編(1995)、1148頁。
- ^ 郭主編(1990)、1766頁及び徐主編(2007)、2277頁。
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