安倍洋子とは? わかりやすく解説

安倍洋子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/09 01:00 UTC 版)

あべ ようこ

安倍 洋子
生誕 きし 洋子 ようこ
(1928-06-14) 1928年6月14日
日本東京府豊多摩郡中野町千光前(現:東京都中野区中野
死没 (2024-02-04) 2024年2月4日(95歳没)
日本東京都
国籍 日本
出身校 白百合高等女学校卒業
職業 書家
配偶者 安倍晋太郎(1951年 - 1991年 死別)
子供
岸信介(父)
岸良子(母)
親戚
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安倍 洋子(あべ ようこ、旧姓〈きし〉、1928年昭和3年〉6月14日[1][2][注 1] - 2024年令和6年〉2月4日[4])は、日本書家[5][6]岸信介の長女、安倍晋太郎の妻、安倍寛信安倍晋三岸信夫の母[7]。三代にわたる政治家一家である岸・安倍家の「ゴッドマザー」的存在で[8]、長らく清和政策研究会所属議員夫人たちのリーダーを務め[9]、政界に信奉者が多いことから「政界のゴッドマザー」と称されていた[10]

生涯

安倍一家:左から、洋子と次男・晋三、夫・晋太郎と長男・寛信(1956年撮影)

岸信介良子夫妻の第2子・長女として、東京府豊多摩郡中野町千光前(現:東京都中野区中野)に生まれた[7][11][注 2]。父:信介の満州国政府への赴任中(1936年 - 1939年)は、中野の家で母方の祖母:千代[12]に育てられた[11]

1941年に一家は新宿区新宿柏木に転居したが、1945年に洋子が白百合高等女学校(現:白百合学園中学校・高等学校)を卒業した後[注 3]、岸家の実家がある山口県田布施町へ疎開し[14][注 4]、洋子も山口銀行の田布施支店に勤務した[16]

1949年に上京し、叔父:佐藤栄作吉祥寺の旧宅に入る[17]1950年6月、のちに衆議院議員農林大臣内閣官房長官通商産業大臣外務大臣となる、当時は毎日新聞政治部記者だった安倍晋太郎見合いをし、1951年5月に結婚した[17]。その後、晋太郎との間に息子3人をもうけ[7]、長男の寛信実業家、二男の晋三は衆議院議員、内閣官房副長官(政務担当)、内閣官房長官、そして第90969798内閣総理大臣を務め、実家の岸家を継いだ三男の岸信夫参議院議員から衆議院議員になり、内閣総理大臣補佐官国家安全保障に関する重要政策及び核軍縮・不拡散問題担当)、防衛大臣を務めた。

1953年第26回衆議院議員総選挙山口2区から岸信介が立候補した際に、夫の晋太郎とともに初めて選挙応援の挨拶や演説に回った[17][18]。また、1955年保守合同の頃には、渋谷南平台の岸家に、安倍一家も同居していた[17]。その後、1956年12月に岸が外務大臣となって2か月間は白金の公邸に一緒に移り住んだが、内閣総理大臣となって以降に岸は永田町総理大臣公邸には住まず南平台に戻り、安倍一家もこれに従った[19]

岸の政界引退後、洋子は夫の晋太郎の選挙区(山口1区)における活動の指揮を執った[9]。また、晋太郎が外務大臣に就任中(1982年11月 - 1985年12月)は、その外国訪問がのべ81か国、39回266日に及んだ[注 5]うち、洋子は全体の3分の1に随行して「夫人外交」に携わった[20]

夫の死後は息子たちの選挙にも関わり続けた[21]。洋子自身も、国際婦人福祉協会募金委員[7]、政治家夫人らの書道グループ「雍容苑」会長、梅若六郎後援会長[22]赤間神宮崇敬会会長[23]表千家同門会山口県支部長・同名誉会員[24]などの役職を務めた。晩年は、孫の岸信千世の政界入りに影響を与えた[25]

2024年2月4日、東京都内の病院で死去[4]。95歳没[4]

著書

栄典

脚注

注釈

  1. ^ 安倍洋子の自著『わたしの安倍晋太郎』において「わたくしは父・岸信介の長女として、昭和三年六月十四日、東京中野の千光前で生まれました」[3]と記述があり(巻末205頁の岸信介年表にも「1928.6.14 洋子誕生」と記載)、ついては、前出のこれまでの出典にあった、他人である記者による情報(6月11日)よりも本人名義の出版物にある日付(6月14日)の方が真実性が高いものと考えられる。
  2. ^ 出生時、父の信介は米国への出張中であった。名前の「洋」の字は太平洋から取られた[3]
  3. ^ 自著では、卒業を待たずに3月初めに疎開したと記されている[13]
  4. ^ 疎開中に新宿の柏木の家が5月25日の空襲で全焼した[15]
  5. ^ 河野洋平に更新されるまで歴代外務大臣の最多記録であり、「空飛ぶ外相」の異名を取った。

出典

  1. ^ 首相動静・2016年6月11日 時事通信 「母親の洋子さんの米寿祝いパーティ」の記述あり[出典無効]
  2. ^ 安倍首相の91歳母・洋子さん 昭恵夫人も来た誕生会の一部始終」『FRIDAY』2019年6月20日。「岸家&安倍家の毎年恒例の行事である"洋子さんの誕生日(6月11日)を祝う会"が開催された」
  3. ^ a b わたしの安倍晋太郎 1992, p. 56.
  4. ^ a b c “安倍元総理の母、安倍洋子さんが死去”. FNNプライムオンライン (フジテレビジョン). (2024年2月4日). オリジナルの2024年2月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20240204140027/https://www.fnn.jp/articles/-/652822 2024年2月4日閲覧。 
  5. ^ 桐山正寿「矢萩春恵さん:文化庁長官表彰を350人が祝う 長年の書業をたたえ」『毎日新聞・東京夕刊』2009年3月17日、4面。「会場には書家、門人の元首相、安倍晋三さんの母・安倍洋子さんをはじめ、…」 - 毎索にて閲覧
  6. ^ “日中友好書道展「ミスこまち」が振袖姿で魅了”. オリコンニュース (オリコン). (2017年7月26日). https://www.oricon.co.jp/news/2094752/full/ 2023年4月23日閲覧。 
  7. ^ a b c d “[人物略歴]安倍洋子氏<故・安倍晋太郎氏の妻>”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 4. (1994年4月3日)  - 毎索にて閲覧
  8. ^ 絶頂の一族 プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」”. 講談社. 2016年3月25日閲覧。
  9. ^ a b 安倍新総裁の母、78歳の高齢でも息子に演説法指導”. 中央日報日本語版 (2006年9月22日). 2016年3月25日閲覧。
  10. ^ 安倍首相の母・洋子さん モンゴルで対北朝鮮交渉の驚愕情報”. NEWSポストセブン/小学館 (2014年8月4日). 2016年3月25日閲覧。
  11. ^ a b 安倍洋子、竹内光「[新編戦後政治]/155 女性たちが語る 安倍洋子さん/1」『毎日新聞・東京朝刊』1994年4月3日、4面。 - 毎索にて閲覧
  12. ^ わたしの安倍晋太郎 1992, p. 190.
  13. ^ わたしの安倍晋太郎 1992, p. 64.
  14. ^ 安倍洋子、竹内光「[新編戦後政治]/156 女性たちが語る 安倍洋子さん/2」『毎日新聞・東京朝刊』1994年4月10日、4面。 - 毎索にて閲覧
  15. ^ わたしの安倍晋太郎 1992, p. 65.
  16. ^ 安倍洋子、竹内光「[新編戦後政治]/157 女性たちが語る 安倍洋子さん/3」『毎日新聞・東京朝刊』1994年4月17日、4面。 - 毎索にて閲覧
  17. ^ a b c d 安倍洋子、竹内光「[新編戦後政治]/158 女性たちが語る 安倍洋子さん/4」『毎日新聞・東京朝刊』1994年4月24日、4面。 - 毎索にて閲覧
  18. ^ わたしの安倍晋太郎 1992, p. 79.
  19. ^ 安倍洋子、竹内光「[新編戦後政治]/159 女性たちが語る 安倍洋子さん/5」『毎日新聞・東京朝刊』1994年5月1日、4面。 - 毎索にて閲覧
  20. ^ わたしの安倍晋太郎 1992, pp. 144–146.
  21. ^ 安倍洋子、竹内光「[新編戦後政治]/172 女性たちが語る 安倍洋子さん/18」『毎日新聞・東京朝刊』1994年8月7日、4面。「父の選挙は“応援する娘”の立場でした。主人のときは“妻の内助”として苦楽を共にしました。今度は晋三・昭恵の“母の目”で陰から見ております。しかし、選挙は何回やっても大変です。」 - 毎索にて閲覧
  22. ^ 安倍洋子、斎藤正利「[ひと]安倍洋子さん=政治家夫人らの書道グループ「雍容苑」会長」『毎日新聞・東京朝刊』2000年11月18日、5面。 - 毎索にて閲覧
  23. ^ “赤間神宮:参道、新しい石畳に”. 毎日新聞・地方版/山口東: p. 23. (2012年4月24日)  - 毎索にて閲覧
  24. ^ “〈訃報〉安倍洋子様”. 同門 (表千家同門会) 632: 36. (3 2024). 
  25. ^ 山崎毅朗、水田道雄 (2023年1月20日). “難航した安倍晋三元首相の後継選び 動いた昭恵氏、自民公募に市議ら”. 朝日新聞. 2024年2月4日閲覧。

安倍 洋子(あべ ようこ)

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破裂」の記事における「安倍 洋子(あべ ようこ)」の解説

中央手術看護師。“痛恨症例”の証言者でもある。29歳訴訟に関わったとして、葛西から当直の日でもヘビー手術ばかり担当させられる嫌がらせを受ける。江崎のことが好き。

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