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八木元八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/14 06:11 UTC 版)

八木元八

八木 元八(やぎ もとはち、1883年明治16年)2月10日[1]1946年昭和21年)10月29日[2])は、衆議院議員外交官

経歴

静岡県榛原郡相良町(現在の牧之原市)出身[1]1902年(明治35年)、外務省留学生試験に合格し、サンクトペテルブルクアモイに留学した[3]1906年(明治36年)、外務書記生となり、アモイ、奉天香港漢口ニューヨークに勤務した[3]1918年大正7年)より長沙副領事、北京副領事、天津副領事、青島領事、ニューオーリンズ領事を歴任した[3]1928年(昭和2年)よりハルビン総領事を務めた[3]

退官後は鴨緑江採木公司理事長、鴨緑江製材株式会社代表、安東市商工公会会長などを務めた[4]

1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に静岡1区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し、当選を果たした。戦後、日本進歩党の結成に参加するが、間もなく推薦議員のため公職追放となった[5]。追放中の1946年(昭和21年)、死去した。

脚注

  1. ^ a b 『大衆人事録』
  2. ^ 『衆議院議員名鑑』
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第9版』
  4. ^ 『人事興信録 第14版(下)』
  5. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、723頁。NDLJP:1276156 

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。 



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