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中村次喜蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/09 13:24 UTC 版)

中村 次喜蔵
生誕 1889年4月18日
日本 東京府
死没 (1945-08-18) 1945年8月18日(56歳没)
満洲国 間島省琿春県
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1912年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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中村 次喜蔵(なかむら じきぞう、1889年明治22年)4月18日[1] - 1945年昭和20年)8月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]

経歴

1889年(明治22年)に東京府で生まれた[1]陸軍士官学校第24期卒業[3]1938年(昭和13年)3月1日陸軍歩兵大佐に進級し[4]陸軍予科士官学校学生隊長に就任した[4]1939年(昭和14年)に歩兵第124連隊長に転じ[4]日中戦争に出動[5]南寧で包囲された第5師団の救援や[6]翁英作戦[6]賓陽作戦、良口作戦などを連戦した[3]1940年(昭和15年)12月に新設された奉天陸軍予備士官学校長に就任し[4][6]1941年(昭和16年)3月に陸軍少将に進級した[2]

同年8月奉天陸軍予備士官学校が廃止されると[6]、久留米第1陸軍予備士官学校長に転じた[1]1943年(昭和18年)に独立混成第19旅団長に就任し[1]、中国戦線に復帰、汕頭周辺の警備に当たり[3]1944年(昭和19年)6月27日に陸軍中将に進級した[2]7月14日第112師団長に親補され[3]、朝鮮国境付近に布陣し、ソ満国境の守備に当たった[7]8月9日ソ連侵攻を受け、防衛陣地を固守し、8月17日まで戦闘が続いた[7]8月18日第1方面軍の命により停戦に応じ[7]、同日琿春で自決した[7]。自決の状況、理由は不明である[7]

栄典

勲章

脚注

  1. ^ a b c d e 福川 2001, 529頁.
  2. ^ a b c 外山 1981, 315頁.
  3. ^ a b c d 福川 2001, 530頁.
  4. ^ a b c d 外山 1981, 316頁.
  5. ^ 伊藤 2018, 175頁.
  6. ^ a b c d 伊藤 2018, 176頁.
  7. ^ a b c d e 伊藤 2018, 177頁.
  8. ^ 『官報』第4705号「叙任及辞令」1942年9月14日。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 伊藤禎 著『大東亜戦争責任を取って自決した陸軍将官26人列伝』展望社、2018年。ISBN 4885463513 



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