テレンチー・シュトィコフとは? わかりやすく解説

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テレンチー・シュトィコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/12 10:00 UTC 版)

テレンチー・シュトィコフ(中央)

テレンチー・フォミーチ・シュトィコフロシア語: Тере́нтий Фоми́ч Шты́ков, Terenty Fomich Shtykov、1907年2月28日 - 1964年10月25日)は、ソ連の政治家、外交官、軍人(政治将校)。大将。

「スチコフ」「シュチコフ」「シュティコフ」「シトゥイコフ」などとも表記。別名「北朝鮮の建国者」「北朝鮮のマッカーサー」「朝鮮のスターリン」。

経歴

リュブコ村(現ベラルーシヴィツェプスク州ゴロドクスキー地区)出身。

1927年、職業専門学校を卒業。1929年から共産党員。1936年~1938年、工場党委員会の副書記、書記、地区会議議長、ヴィボルグ地区委員会第一書記を歴任。1938年、レニングラード州委員会第二書記となり、ソ・フィン戦争時、第7軍軍事会議議員を兼任する。

独ソ戦時、レニングラード戦線(1942年~1943年)、ヴォルホフ戦線(1943年~1944年)、カレリア戦線(1944年)の軍事会議議員(政治将校)を歴任する。1945年4月から沿海軍集団軍事会議議員、同年8月~10月、第1極東戦線軍事会議議員。

戦後、沿海軍管区の軍事会議議員(1945年~1947年)、政治担当副司令官(1947年~1948年)を歴任し、朝鮮問題に関する全面的責任を担った。1948年~1951年、駐北朝鮮ソ連非常全権大使。1951年、党の業務に移り、ノヴゴロド州委員会第一書記、沿海地方委員会第一書記等を経る。1959年4月、駐ハンガリーソ連非常全権大使。1961年、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国閣僚会議国家監督委員会議長。1963年2月、党中央委員会ロシア共和国担当党・国家監督委員会副議長。

1939年~1952年、全連邦共産党(ボリシェヴィキ)中央委員会委員候補、1956年~1961年、ソ連共産党中央委員会委員。第1期、第2期、第4期、第5期ソ連最高会議代議員。

パーソナル

レーニン勲章3個、赤旗勲章、一等スヴォーロフ勲章、一等クトゥーゾフ勲章3個を受章。





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