第1枝篇:オジエの出自
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「オジェ・ル・ダノワ」の記事における「第1枝篇:オジエの出自」の解説
第1枝篇(全3109行)は、オジエの青少年期の部ともいえるが、おおよそ次のような筋書きである: 若きオジエは人質となり、シャルル王に預けられる。それでも監禁先のサントメール城主の娘と情事をおこない、息子ボードワン(→ボルドウィン)をもうける。 そのうちオジエの父デンマルク公ゴーフロワ(→ジョフロワ)の不遜が度を増し、シャルル王は、オジエを絞首刑にすると決める。ところがローマ教皇から、異教徒の侵略に対する救援依頼状が届き、シャルルは、オジエも連行しイタリアに向かう。身元保証人は、親戚のバイエルン公ネーム(→ナモ)が引受ける。オジエは元服(騎士叙任の儀礼)を受けておらず具足もなく丸腰だった。観戦していると、前衛で旗手(英語版)を務めるアロリー・ド・プイユ(プッリャ州のアロリー)の敵前敗走を目にする。オジエたちは、アロリー隊から甲冑・軍旗(オリフラム)を奪い、奮迅した。苦戦中のフランス軍は応酬し、オジエは感謝され王から佩刀の叙勲を受ける しかし新手の強敵カラウー(→カラヒュー)の報告が入る。カラウーは、敵の総大将である都督〔アミラル〕コルスブルの娘グロリアンドの許嫁だったが、異教徒ながら、たいへん義を重んずる人物であった。またカラウーは、聖剣コルタン( →コルタナ)の所有者で、姫の御前でのオジエと決闘を申し込む。シャルルの息子シャルロが自分の出番だと駄々をこねるので、もうひとりサドワヌ(→サドン)という対戦相手をつけて、二組で決闘をおこなう。ところが戦いが佳境に入った頃、水をさすように、都督の息子ダヌモンの一団が乱入し、オジエを捕獲する。説得に応じず釈放しないため、律儀なカラウーは、フランス陣営に投降し、もし、オジエが処刑されようものなら、自分も殺して構わない、と言った。 ここで異教徒側にまた強者の救援が到着する。マヨルカ国のブリュナモンという猛者である。都督は姫とカラウーの婚約は破談にし、このブリュナモンと娶わせるという。姫は反対だが、阻止するとなると、勇士を立ててブリュナモンと戦わねばならない。姫はその勇士の役を、なんと俘虜のオジエに依頼し、カラウーも聖剣コルタンをオジエに与えて一任する。オジエはみごとブリュナモンを斬り捨て、額に白点のある黒馬ブロワフォール(→ベフロール)を手に入れる。
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