建国直前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:44 UTC 版)
「朝鮮民主主義人民共和国の歴史」の記事における「建国直前」の解説
「朝鮮人民共和国」および「北朝鮮人民委員会」も参照 第二次世界大戦末期に日本へ宣戦布告をしたソ連は、朝鮮北東部(咸鏡北道)から日本統治下の朝鮮を徐々に制圧して行き、1945年9月2日の日本の降伏までには、北緯38度線以北の朝鮮(北朝鮮)全域に進駐した。日本がポツダム宣言の受諾を宣言した時点(1945年8月15日)で、朝鮮には朝鮮人による独自の共産党組織があった。しかしソ連は、東ヨーロッパの衛星国に対して採った方針を踏襲し、第二次世界大戦期をソ連で過ごした朝鮮人の共産党員に、好んで権力を与える方針を持っていた。そのため、1946年2月にソ連軍(赤軍)は、ソ連に亡命し、そこで朝鮮人共産党員の指導的役割を担っていた金日成を、北朝鮮の行政機関である北朝鮮臨時人民委員会の委員長に任命した。金日成率いる抗日パルチザン出身の一派(後の満州派)は、朝鮮の共産主義者の中では少数派に過ぎなかった。しかし、帰国直前にモスクワで行われたスターリンとの会談で、ソ連が樹立を考えていた朝鮮の共産党政権の指導者として認定されたと言われている。同年11月3日に総選挙を実施した北朝鮮臨時人民委員会は、1947年2月に立法機関「北朝鮮人民会議」を設置すると共に、北朝鮮臨時人民委員会を行政府「北朝鮮人民委員会」に再編成し、北朝鮮を統治する政府組織を構成していった。金日成は北朝鮮の社会主義化政策を進めると共に、朝鮮共産党北朝鮮分局(後に北朝鮮労働党に改称)を結成し、徐々に反対派を権力の中枢から追放していった。
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