第二次世界大戦終戦、鉄道復興と「冬の時代」(Epoche 3)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 06:11 UTC 版)
「ドイツの鉄道史」の記事における「第二次世界大戦終戦、鉄道復興と「冬の時代」(Epoche 3)」の解説
第二次世界大戦でドイツの鉄道は駅・線路・車両など、ありとあらゆるものが破壊され、また、敗戦によって国土も縮小された。さらに、連合国によって持ち去られた車両や設備も少なくなく、まさに「マイナスからの出発」となった。 敗戦によりドイツは、連合国のうちの4カ国(アメリカ合衆国・イギリス・フランス・ソビエト連邦)によって占領されることとなる。鉄道は占領地域毎に、その地域の占領国のコントロールの下に運営された。1949年には米英仏占領地域が「ドイツ連邦共和国(西ドイツ)」として、ソ連占領地域が「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」としてそれぞれ別個に建国され、ドイツは分断国家となった。東ドイツ側では1949年に「ドイツ国営鉄道」(DR: Deutsche Reichsbahn) が発足、西ドイツ側では1951年に公共企業体として「ドイツ連邦鉄道(西ドイツ国鉄)」(DB: Deutsche Bundesbahn) が発足した。ただし、やはり4か国による占領が行われていた首都ベルリンの鉄道については、占領国に関係なく、ベルリン全域で(ベルリンの壁構築後も、1984年までは)東ドイツ国鉄が運営するようになった。 西ドイツ国鉄では、戦争で荒廃した鉄道網の復旧を進めるものの、被害はあまりにも甚大で、その前途は多難を極めた。西ドイツ国鉄の経営状態は、発足1年目の1951年に黒字となった以後は、一度として黒字となった年はなかった。前述の通り、戦前のドイツの鉄道網は、ベルリンを中心とした放射状路線であることと、東西方向の路線を重点的に整備していたこともあり、西ドイツ国鉄の路線網は、その多くが亜幹線レベルであった。このことは、スピードアップの足枷となった。幹線電化の推進や、TEEの運転開始(1957年)のような策を講じるも、戦前から進められていた道路網や航空網の整備の急速な進展により、鉄道は競争力を失う結果となった。また、技術的にも停滞することとなり、鉄道にとってはまさに「冬の時代」であった。 東ドイツ国鉄では、ソ連の援助により、戦争で荒廃した鉄道網の復旧が進められた。西ドイツとは異なり、社会主義国家であった東ドイツでは、自家用車の所有は「夢のまた夢」であったこともあり、鉄道は多くの国民にとって、最も重要な交通機関となった。同時に、鉄道は国家の重要インフラと位置づけられた。1950年代中頃までは、西ドイツ国鉄と大差ない技術レベル・インフラレベルにあったとされているが、やがてレベル向上は停滞し、西ドイツとの格差が広がるようになる。
※この「第二次世界大戦終戦、鉄道復興と「冬の時代」(Epoche 3)」の解説は、「ドイツの鉄道史」の解説の一部です。
「第二次世界大戦終戦、鉄道復興と「冬の時代」(Epoche 3)」を含む「ドイツの鉄道史」の記事については、「ドイツの鉄道史」の概要を参照ください。
- 第二次世界大戦終戦、鉄道復興と「冬の時代」のページへのリンク