冬の時代
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冬の時代(ふゆのじだい)とは、ある産業や文化活動などが低調な時代を指す慣用表現。
しばしば、ブームが去った後の時代を指し、始まりは明確だが、回復は緩やかなため終わりははっきりせず、「冬の時代は終わったのか否か」が論じられることがある。
日本
- 社会主義運動冬の時代[1]
- 大逆事件(1910年)以降約5年間をさす。堺利彦は〈売文社〉をおこし、文筆に力を注ぎ、荒畑寒村と大杉栄は、雑誌『近代思想』を発行し、言論活動の場をつくったように、社会運動よりも文化運動に力を注いでいた。[要説明]
- 日本のボクシング史
- 1980年代がこう呼ばれた。
- SF冬の時代
- 1980年代末から1990年代全般を指す。
- アイドル冬の時代
- おニャン子クラブ解散後の1980年代末から1990年代前半。アイドルを参照。
- テーブルトークRPG冬の時代
- 1990年代後半を指す。
その他の用例
- 『ナルニア国物語』作中では、文字通り、気温が低い時代を意味する。
注
- ^ 祖父江昭二『二〇世紀文学の黎明期』(新日本出版社、1993年、ISBN 4-406-02160-4)による
関連項目
冬の時代
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「ジャガー (自動車)」の記事における「冬の時代」の解説
その後ジャガーは順調な経営を続けたものの、1966年7月に、イギリス最大の民族資本系自動車会社グループである「ブリティッシュ・モーター・コーポレーション」(BMC)との合併を行い「ブリティッシュ・モーター・ホールディングス」(BMH)を結成した。この突然の決定は、企業体制をさらに強固にするためのライオンズ自身による意思であるとされている。 しかし、1968年にはBMH主要モデルの販売不振から、BMH自体が経営不振に陥ることになる。事態を重く見たイギリス政府は、もう一つの民族資本系グループである「レイランド・モーター・カンパニー」との統合を決め「ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション(BLMC)」として参集させた。 そのような背景のなか、ジャガーは同年1968年にスモールサルーンの後継モデルとなるXJを投入した。しかし、本来は高級車メーカーであるはずのジャガーは、作業員のレベル自体がBLMCの平均に下げられることになり、またこの時代のイギリスで多発した労働運動の激化により著しい品質低下に陥り、販売台数も大幅に減少した。また古参社員の引退が相次ぎ、ライオンズも1972年に経営の座から退いた。 加えてオイルショックの影響も受け、世界的に自動車の販売自体が激減する。BLMCは深刻な打撃を受け、5千万ポンドもの借入金を抱える有様となり、遂に1975年8月に国営化されブリティッシュ・レイランド(BL)となる。 同年にEタイプの後継としてXJSを投入したものの、品質の低さやデザインが市場に受けられず、さらにコンバーチブルモデルが無いこともあり販売は低迷を続けた。この頃のジャガーは「冬の時代」を歩み続けることになる。
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