げきだん‐みんげい【劇団民芸】
読み方:げきだんみんげい
⇒民芸
劇団民藝
劇団民藝(第二次)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 16:05 UTC 版)
1950年12月22日、劇団民藝として、創立された。第1回公演はチェーホフの『かもめ(岡倉士朗演出)』。翌1951年には『炎の人-ゴッホ小伝(三好十郎作)』が上演された。 その後、久保栄、木下順二らの創作劇からアーサー・ミラーの『セールスマンの死』、F&Aハケット『アンネの日記』、サルトルの『汚れた手』などの翻訳劇まで数多くの作品を上演し、新劇界の中心的役割を果たす劇団として多くの人々に親しまれている。日活が1954年に映画製作を再開した際、五社協定により他社の映画俳優を一切使えなかったため民藝と提携。一般作品の制作を断念する1971年にかけて多くの俳優が日活映画に出演している。1960年代には樫山文枝、日色ともゑらがNHK朝の連続テレビ小説で人気となった。米倉斉加年、高田敏江、吉行和子らも過去に所属していたことがある。 1971年には内部で対立が起こり、佐野浅夫・佐々木すみ江・下條正巳・鈴木瑞穂らが退団。 2005年から2006年には、奈良岡朋子が無名塾の仲代達矢との共演で、『ドライビング・ミス・デイジー』を上演している。 2020年1月に篠田三郎が青山事務所所属となった。
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