劇団河 (旭川市)とは? わかりやすく解説

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劇団河 (旭川市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/20 02:02 UTC 版)

劇団河(げきだんかわ)は、北海道旭川市にあった日本のアマチュア劇団[1][2]

概要

1959年創設[1]。当初はよくあるリアリズム演劇を上演していた[1][3]。1968年度旭川市文化奨励賞受賞[4]

1974年、旭川市常磐公園そばの土蔵をリフォームした喫茶店兼劇場の河原館を開業、そこで状況劇場早稲田小劇場など小劇場ブームやアングラ演劇ブームの影響で唐十郎二都物語』、清水邦夫『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』を上演して道内外から注目、高評される[1][3][5]。『二都物語』は若手団員が唐の作品をやりたいと希望したものだがメンバーの星野由美子は内容が難しいと気乗りしないまま、事前に連絡もとらずに東京の唐に会いに行き、許可を得た[5]。清水とは作品の上演で彼と交流するようになったことから、1976年には清水が著すも東京の劇団の内部分裂により上演されずお蔵入りになっていた『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』を彼に勧められて劇団河が初上演、東京の演劇人から注目される[1][3][6]。なお同作は演出も清水が手がけた[1]。劇団では彼が演出を幾度か行い、彼の協力でドラマの前衛的造形の実験も行った[2][7]。中心団員には創設メンバーの1人で女優兼演出家の星野や座付き作家の塔崎健二らがいた[3][8]。テーマには小熊秀雄作品を据え[9]、河は「劇団やまなみ」とともに旭川の演劇のリーダー的存在であった[10]

河原館やそのあたりは若者が多く集まる旭川の芸術文化の発信拠点で、田中泯のダンスや吉行和子の一人芝居を上演したり映画を上映して東京の最先端の文化を紹介する役割も担っていた[1][3]。それは道内の駅裏8号倉庫、帯広演研などにも影響を与えていった[6]

1986年、『1982嫉妬』の上演を最後に活動休止[5][8]。理由は団員が一番多いときで20人ほどいたが仕事や家庭を理由に4人まで減少、芝居のための熱気が薄らいでしまったからであった[5]。ただ解散ではなく誰かが後継になってくれればという思いがあった[5]。流れをくむ劇団としては河出身者らが創設した旭川ステージワークがある[11][12]

2017年、復活公演が行われる[13]。その契機は2016年に劇団のファンだった那須敦志がその活動を振り返る著書『“あの日たち”へ ~旭川・劇団『河』と『河原館』の20年~』を出版したことや舞台照明を担当していた豊島勉が自身が劇団に関わる前に上演されていたその代表作のオリジナル演劇『詩と劇に架橋する十三章』のことを知り、興味を抱いたからで、それを復活公演で上演した[1][5][13][14][15]

2021年1月25日、代表となっていた星野は肺疾患のため死去、93歳[16]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h “あの日たち”へ ~旭川・劇団『河』と『河原館』の20年~”. 中西出版 (n.d.). 2025年1月19日閲覧。
  2. ^ a b “清水邦夫の名作『楽屋』 小劇場本舗がプロデュース公演 22~24日”. あさひかわ新聞 (北のまち新聞社). (2023年9月19日). https://www.asahikawa-np.com/digest/2023/09/020032967/ 2025年1月19日閲覧。 
  3. ^ a b c d e “劇団「河」と「河原館」のこと ほか”. 日本放送協会. (2013年11月15日). オリジナルの2014年7月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140722105609/http://www.nhk.or.jp/asahikawa-blog/2013/11/15/ 2025年1月19日閲覧。 
  4. ^ 旭川市文化賞 文化奨励賞受賞者一覧”. 旭川市 (2022年10月18日). 2025年1月20日閲覧。
  5. ^ a b c d e f “星野由美子さん(89)*旭川の劇団「河」代表*31年間の活動休止経て復活へ*「女蜷川」熱い芝居挑む”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2017年1月15日). https://asahikawa.hokkaido-np.co.jp/human/20170115.html 2025年1月19日閲覧。 
  6. ^ a b “『“あの日たち”へ~』”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2017年2月23日). http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20170223010860002.html 2025年1月20日閲覧。 
  7. ^ 高野斗志美『現代文学と北海道の作家群像』p.128 北海道新聞社 1978年
  8. ^ a b “30年ぶりの復活公演 劇団「河」、出演者募集”. あさひかわ新聞 (北のまち新聞社). (2016年10月10日). https://www.asahikawa-np.com/digest/2016/10/011011105/ 2025年1月19日閲覧。 
  9. ^ “劇団「河」若者4人 小熊秀雄「長長秋夜」「飛ぶ橇」を群読”. あさひかわ新聞 (北のまち新聞社). (2018年2月13日). https://www.asahikawa-np.com/digest/2018/02/014014967/ 2025年1月20日閲覧。 
  10. ^ 旭川市総務部市史編集事務局 編『旭川80年のあゆみ』p.216 1970年
  11. ^ “佐藤健さんの「お別れ会」23日 緑が丘住民センターで”. あさひかわ新聞 (北のまち新聞社). (2010年9月14日). https://www.asahikawa-np.com/digest/2010/09/01504643/ 2025年1月19日閲覧。 
  12. ^ “上演回数日本一の清水戯曲 俳優陣の演技合戦に注目”. ライナーウェブ (ライナーネットワーク). (2023年9月9日). https://www.liner.jp/news/36589/ 2025年1月19日閲覧。 
  13. ^ a b 劇団「河」31年ぶりの復活”. 三浦綾子記念文学館 (2017年8月1日). 2025年1月19日閲覧。
  14. ^ “豊島勉さん(65)*劇団「河」の復活公演を演出*詩と劇に架橋する十三章*重なる詩が紡ぐ生と死”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2017年7月2日). https://asahikawa.hokkaido-np.co.jp/human/20170702.html 2025年1月19日閲覧。 
  15. ^ “活動停止から31年、旭川の劇団「河」来夏復活 代表作公演へ関係者準備”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2016年12月27日). オリジナルの2016年12月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161228140653/http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/dohoku/1-0352420.html 2025年1月20日閲覧。 
  16. ^ “演劇60年、前衛的な作品で注目 星野由美子さん死去、93歳 旭川の劇団「河」代表”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2021年1月25日). オリジナルの2021年1月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210130073432/https://www.hokkaido-np.co.jp/article/506251 2025年1月20日閲覧。 

関連書籍

  • 那須敦志『“あの日たち”へ ~旭川・劇団『河』と『河原館』の20年~』中西出版 2016年

外部リンク




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