第二次世界大戦末期(1943年以降)のイタリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:07 UTC 版)
「無防備都市宣言」の記事における「第二次世界大戦末期(1943年以降)のイタリア」の解説
イタリア王国が連合軍に降伏後(イタリアの降伏)、ローマ、キエーティ、フィレンツェなどが無防備宣言を行ったものの、連合軍・ドイツ軍双方に無視されている。ローマに関しては無防備都市を宣言したものの、実際には一部の防衛軍が残存しており、エンリコ・カヴィグリア(英語版)元帥による降伏手続きが行われるなど無防備都市の徹底は行われておらず、ドイツ側も無防備都市状態を認めていない。ローマはその後数度にわたって空襲を受けており、中立国であるバチカンの領域も損害を受けた(ローマ空襲 (第二次世界大戦)(英語版))。
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