政権与党
せいけん‐よとう〔‐ヨタウ〕【政権与党】
読み方:せいけんよとう
⇒与党1
与党
政権与党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:45 UTC 版)
1998年の連邦議会選挙では、得票率が6.7%に落ちたにもかかわらず、47議席を保持し、ドイツ社会民主党(SPD)との連立政権(赤緑連合)を組むことで初めて政権与党となった。ヨシュカ・フィッシャーは副首相兼外相に就任した。その他環境大臣にユルゲン・トリッティン、保健相にアンドレア・フィッシャー(後に狂牛病問題で辞任)が就任した。 政権発足直後、コソボにおけるNATOの軍事行動へのドイツ連邦軍参加に関する対応で危機に陥った。緑の党が参加する政府の下で軍事衝突中の国外へのドイツ連邦軍の最初の配備が行なわれたため、多数の戦争反対者が党員を辞めた。そのため、この時期は地方選挙で長期間にわたり敗北した。また、産業界寄りなSPDの閣僚は、広範にわたる妥協が必要として、緑の党の環境保護主義的な主張に反対した。 2001年には、数人の緑の党の連邦議会議員がアメリカ合衆国のアフガニスタン侵攻を支援するための連邦政府によるドイツ連邦軍派遣案を拒絶した。ゲアハルト・シュレーダー首相は内閣の信任投票を行い、緑の党から4人、SPDから1人の議員が反対したが、大多数は賛成した。 2002年の連邦議会選挙では、得票率8.6%で議席を55へ伸ばし、自由民主党(FDP)を抜いて第3党となった。SPDは議席を減らしたものの、連立政権は僅差で過半数を獲得し、第2次内閣を発足させた。外務大臣のヨシュカ・フィッシャー、消費者保護・栄養・農業大臣のレナーテ・キューナストや、環境大臣のユルゲン・トリッティンが再任された。
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