政権ナンバー2に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 09:43 UTC 版)
「サッダーム・フセイン」の記事における「政権ナンバー2に」の解説
バクル政権では副大統領になり、治安機関の再編成をまかされ、クーデターに協力したアブドゥッ=ラッザーク・ナーイフ首相の国外追放、イブラーヒーム・ダーウード国防相の逮捕など、バクル大統領の権力強化に協力し、その結果、1969年、革命指導評議会(RCC)副議長に任命された。また、この時期にサッダームはイラク・バアス党をシリア・バアス党の影響力から引き離す工作を始め、「イラク人民とは文明発祥の地、古代メソポタミアの民の子孫である」とする「イラク・ナショナリズム」(ワタニーヤ)をアラブ民族主義(カウミーヤ)と融合させてイラクの新たなイデオロギーに据えた。 このころ、サッダームは治安・情報機関を再編成し、その長に側近や親族を充てて、国の治安機関を自らの支配下におき、イラクを警察国家に変貌させ、秘密警察による国民の監視が強化された。政府省庁やイラク軍内部にも通称「コミッサール」と呼ばれたバアス党員の密告者を送りこみ、逐一動向を報告させている。 また、政府の高位職に同郷であるティクリートやその周辺地域の出身者を多く登用している。そのため、恩恵に与れない他地域の人間の間には不満が募っていった。 そんな中、1973年6月、シーア派のナジーム・カッザール国家内務治安長官が、バクルとサッダームの暗殺を企てるが、事前に露見し、サッダームの素早い決断によりクーデター計画を阻止している。カッザールとその一派は特別法廷により死刑を宣告され、処刑されたが、この際に事件と関わりの無い人物、主に、清廉な人物としてイラク国民からの人望も厚く、次期大統領との呼び声も高かったアブドゥル=ハーリク・アッ=サーマッラーイーのような、バアス党内におけるサッダームのライバル達も陰謀に加担した容疑で粛清された。
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