政権を奪う
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 09:55 UTC 版)
メルキト部の出身で、マジャルタイ(中国語版)の長男。幼少の頃に伯父バヤンの養子となり、浦江の呉直方(中国語版)に学んだ。天暦元年(1328年)、15歳で皇太子アリギバのケシクとダルガチに任じられ、翌天暦2年(1329年)、文宗トク・テムルに拝謁して気に入られ、内宰司丞を加えられた。同年5月に府正司丞に任じられ、至順2年(1331年)には虎符(中国語版)を授けられ、忠翊侍衛親軍都指揮使(中国語版)に任じられた。元統2年(1334年)に同知宣政院事を加えられたが同年5月に公平社中政使、6月に同知枢密院使に移った。元統3年(1335年)に中書左丞相のテンギス(中国語版)が反乱を起こすと、その叔父の答里が挙兵したがこれを捕らえた。御史中丞・親軍都指揮使に任じられて、左阿速衛を兼ねた。至元4年(1338年)に御史大夫に任じられた。しかしバヤンが専横を極めたため、父のマジャルタイ・師の呉直方に相談した上で、バヤンを疎ましく思っていたカアンの恵宗トゴン・テムルと結んで至元6年(1340年)2月にクーデターを起こし、バヤンを追放した。
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