政権の運営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 18:16 UTC 版)
「非自民・非共産連立政権」の記事における「政権の運営」の解説
細川内閣成立後、連立を構成する政党の意見をどのように調整し決定するかが政治機構上の重要な問題となった。細川政権下で「与党代表者会議」が設けられ、与党5党代表幹事-書記長クラスで構成した。政治改革法案の内容の調整や増減税の方針を始め、重要な政策決定、さらに、予算編成の時期など重要な政治日程を協議決定し、閣議の上から政治全体を抑えているようにみえ、与党内の不満や分裂を招いた。 与党内では、選挙制度改革や消費税問題などで社会党と小沢が対立を深め、細川が無断で「国民福祉税」の導入を発表するなど混迷を極めた。1994年4月に細川内閣は総辞職に追い込まれる。連立与党は引き続き羽田内閣で枠組みの維持を図るも、社会・さきがけ両党が政権発足と同時に与党を離脱して内閣はいきなり死に体となり、わずか2ヶ月で退陣する。自民党が両党に手を回して自社さ連立の村山内閣成立となり、非自民・非共産連立政権は10ヶ月で終焉を迎えた。
※この「政権の運営」の解説は、「非自民・非共産連立政権」の解説の一部です。
「政権の運営」を含む「非自民・非共産連立政権」の記事については、「非自民・非共産連立政権」の概要を参照ください。
- 政権の運営のページへのリンク