政権への関与
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/16 13:56 UTC 版)
1610年頃から、ジャハーンギールは病気の発作を起こすようになり、ムガル帝国の国政は宰相ミールザー・ギヤース・ベグや妃ヌール・ジャハーン、その弟アーサフ・ハーンに握られていた。この三人にジャハーンギールの後継者ともいえる皇子フッラムが加わり、事実上の四頭政治が始まった。 皇帝のすべての勅令にはヌール・ジャハーンの名も記され、その名を刻んだ硬貨を鋳造させた。ヌール・ジャハーンの名はジャハーンギールの名とともに勅状にも併記され、彼女は事実上の支配者、つまり皇帝と同格であった。1622年に宰相ミールザー・ギヤース・ベグが死ぬと、ジャハーンギールは彼女をさらに重用した。 こうして、ヌール・ジャハーンは皇帝を凌ぐほどの力を得て、皇帝ジャハーンギールはその傀儡に過ぎなくなった。 だが、自分の一人だけに権力を行使しようとせず、権力の行使はあくまで二人であることを前提とし、皇帝の飲酒癖をやめさせようとした。 このような努力により、ジャハーンギールの怒りと暴力の発作は徐々に収まっていった。ジャハーンギールもまた、ヌール・ジャハーンにはとても感謝しており、「妃ほど余を思ってくれる者はいない」と回顧録で述べている。
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