ベドウィンに対する影響力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 21:03 UTC 版)
「サーリフ・ブン・ミルダース」の記事における「ベドウィンに対する影響力」の解説
歴史家のティエリ・ビアンキによれば、サーリフは「キラーブ族の先祖が一世紀にわたって目標としていた計画を成功に導いた」。そして「秩序と体面への関心」を持って支配した。サーリフのアミール政権はキラーブ族の部族内の連帯によって政権の重要な面で結束し、実際にキラーブ族はミルダース朝の軍事面における支柱となっていた。サーリフは以前にキラーブ族の首領たちの中で最も有力な地位を確立していたが、部族内の有力氏族やアミールたちだけではなく、それ以外の氏族に対しても自身のアミール政権への関与を求めた。サーリフはこれらのアミールたちに対してイクター(国家から与えられる徴税権もしくは分与地)を与えたが、それぞれのイクターの規模や具体的な所有者についての詳細は同時代の史料からは判明していない。 ベドウィンの風習の維持はサーリフの支配における際立った特徴であり、サーリフは常に都市の指導者ではなくベドウィンの族長の姿で公の場に現れた。さらに、都市よりもアレッポ郊外の自身の部族の野営地に住むことを好んでいた。アレッポで政権を確立した後、サーリフの地位はシリアとメソポタミアのベドウィンの間で上昇していった。サーリフはアラビアの年代記作者によってしばしばアミール・アラブ・アッ=シャーム(英語版)(シリアのベドウィンの司令官)と呼ばれた。サーリフの時代におけるこの称号の価値は不明であるが、ザッカールによれば、「少なくともその称号は高い地位であることを示していた」。 キラーブ族におけるサーリフの指導力とシリアのタイイ族とカルブ族への影響力に加えて、サーリフの影響力はヌマイル朝を含むジャズィーラの各部族にも及んだ。ヌマイル族の二人のアミールがエデッサをマイヤファルキーン(英語版)のマルワーン朝(英語版)のアミールであるナスル・アッ=ダウラに奪われた際に、両者はサーリフへ介入を訴えた。サーリフはこれに応じてエデッサをヌマイル朝へ返還するようにナスルを説得した。さらに、1024年もしくは1025年にサーリフの支援の下でオロンテス川の渓谷においてムンキズ族(英語版)が初めて政治勢力として登場した。当時、サーリフはムンキズ族の族長であるムカッラド・ブン・ナスル・ブン・ムンキズに対し、アレッポの征服を支援した見返りにイクターとしてシャイザール(英語版)周辺の封土を授与したが、シャイザールの町自体はビザンツ帝国の支配下にあった。
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