アレッポの征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 21:03 UTC 版)
「サーリフ・ブン・ミルダース」の記事における「アレッポの征服」の解説
1024年10月にスライマーン・ブン・タウクに率いられたサーリフの軍隊がアレッポに向けて進軍し、ファーティマ朝の総督のスウバーン、そして城塞を守るマウスーフの部隊と散発的な交戦を続けた。サーリフはシリアの数か所の沿岸地域を略奪した後に多数のベドウィンの戦士を率いて11月22日にアレッポに到着した。サーリフは最初にジナーン門(英語版)の外で野営し、都市を包囲して降伏を要求した。しかし、この要求は都市のカーディー(イスラーム法の裁判官)であるイブン・アビー・ウサーマとその他の都市の有力者たちによって拒否された。その後サーリフはさらに軍隊を増強し、50日以上にわたってアレッポの守備隊と交戦した結果、双方に多数の犠牲者が出た。 しかしながら、1025年1月18日に都市で生き残っていたハムダーン朝のギルマーンの長であるサーリム・ブン・アル=ムスタファード(英語版)がキンナスリーン門(英語版)をサーリフのために開門した。サーリムはマウスーフとの不和のためにファーティマ朝から離反していた。そして多くの都市の住民や他のかつてのギルマーンとともに住民にアマーン(安全保障)を与えたサーリフを歓迎した。その後、サーリフは都市の城壁の塔を取り壊した。同時代のエジプトの年代記作者であるアル=ムサッビヒー(英語版)によれば、この行為によって地元の民衆はサーリフがアレッポをビザンツ帝国に引き渡す準備をしていると信じるようになった。これを恐れた人々はファーティマ朝の部隊とともに戦い、およそ250人のキラーブ族の戦士を殺害してサーリフの軍隊を短期間追放した。ザッカールは、アレッポの塔の破壊は自身の軍隊が追い払われた場合に都市の再征服をより容易にするための方策であったと考察している。 1月23日にサーリフは城塞を包囲し、マウスーフとその部隊は籠城した。その一方でスウバーンとその守備隊は城塞のふもとにある総督の官邸にバリケードを築いた。3月13日までにサーリフは官邸に踏み込み、都市の住民に官邸の略奪を許可した。ベドウィンの部隊は包囲戦には慣れていなかったために、サーリフはアンティオキアのビザンツ帝国の総督であるコンスタンティノス・ダラッセノス(英語版)に精鋭部隊の派遣を要請し、コンスタンティノスはアレッポに300人の弓兵を派遣した。しかし、派遣された部隊はサーリフの反乱を支持しなかったバシレイオス2世の命令ですぐに呼び戻された。サーリフは5月5日にサーリムをムカッダム・アル=アフダース(都市住民による民兵組織の指揮官)とアレッポの総督に任命してスライマーン・ブン・タウクとともに城塞に対する包囲の継続を任せ、自身はアヌーシュタキーンが再開した遠征に対抗するタイイ族の戦いを支援するためにパレスチナに向けて出発した。6月6日の停戦を求めるファーティマ朝の守備隊の訴えは無視され、守備隊はビザンツ帝国の支援を必死に求めるようになった。そしてついにはキリストの十字架を城塞の壁に吊り下げ、カリフのザーヒルを罵りながらバシレイオス2世を声高に賛美するまでになった。イスラーム教徒の住民は包囲に参加することによって親ビザンツの嘆願に対抗した。6月30日までに城塞は突破され、マウスーフとスウバーンは拘束された。 同じ頃にサーリフとタイイ族はパレスチナでファーティマ朝軍の攻撃を回避していた。サーリフはアレッポへ戻る途上で一連の都市と要塞、具体的にはダマスクス北方のバールベック、シリア中部のホムスとラファニーヤ(英語版)、地中海沿岸のシドン、そしてタラーブルスの後背地に位置するアッカール(英語版)を占領した。これらの戦略的に価値の高い都市の占領によって、サーリフは海への出口を得るとともにアレッポとダマスクスの間の一部の交易路に対する支配権を得ることになった。特にシドンの陥落は内陸部の都市よりもシリアの港湾都市の支配を重視していたファーティマ朝を警戒させ、ファーティマ朝は他の港がシドンの占領に続いてベドウィンの支配を認めるのではないかと危惧した。サーリフは勝利を誇示しながら9月にアレッポの城塞に入城した。その後、サーリフはマウスーフとイブン・アビー・ウサーマを処刑し、多くのアレッポの名望家(門閥)の私有地を没収した。一方では金銭的な補償の見返りにスウバーンを解放し、都市のダーイー(英語版)(イスマーイール派の教宣活動の指導者)が安全に都市から去ることを認めた。
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