アレッポ奪還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 07:01 UTC 版)
「ロシア連邦航空宇宙軍によるシリア空爆」の記事における「アレッポ奪還」の解説
2016年7月28日、ロシアはアレッポに「人道回廊」を設定し、民間人が政府支配地域に逃れることが出来るようにしたと発表した。30日までに数十人が脱出したとしたが、反体制派はこれを否定した。 8月、ロシア空軍の空爆によって、反体制派支配地域に住んでいた少年オムラン・ダクニシュが負傷したとされる。 9月、シリア政府軍が残りの補給路も奪還し、アレッポの反体制派支配地を完全に孤立させた。この頃から、アレッポの反体制派支配地に住むとされる少女バナ・アルアベドがTwitterで町の様子を発信し始めた。 10月、劣勢の反体制派への空爆を辞めさせるために国連安全保障理事会で、フランスとスペインによってアレッポでの空爆を辞めさせる決議案が提出された。安保理15カ国のうち日本を含む11カ国が賛成したが、ロシアが拒否権を行使しして否決した。 11月、政府軍がアレッポ奪還に向けて大規模攻勢を開始。12月19日には駐トルコ・ロシア大使アンドレイ・カルロフがアンカラで射殺された。犯人の男は「アレッポを忘れるな、シリアを忘れるな」などと叫んでおり、ロシア軍によるアレッポの反体制派攻撃に憤っての犯行と考えられた。この時点でアレッポの反体制派は壊滅状態となり、ロシア・イラン・トルコなど関係各国が、停戦のための話し合いを行っていた。 12月22日、政府軍はアレッポ全域を反体制派から奪還したと宣言。反体制派組織、イスラム戦線に加盟するシャーム自由人イスラム運動幹部も、事実上の撤退を認めた。反体制派地域にいた住民のうちオムラン・ダクニシュらは政府支配地域に逃れ、一部が反体制派の支配するイドリブ県に移動した。このうちバナ・アルバベド一家は22日にはアンカラでエルドアンと面会した。
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