政権与党としての活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 02:25 UTC 版)
国民救済党は、1973年の総選挙から国政選挙に参加し48議席を獲得、1977年の総選挙では24議席を獲得した。国民救済党は、1970年代のトルコ政局において、共和人民党と公正党の2大政党の間でキャスティング・ボートを握り、通算3つの連立政権に参加することとなる。 国民救済党は、1974年1月26日に共和人民党と連立を組み、エジェヴィト政権を樹立。エルバカンも副首相として入閣した。同政権は、中道左派の共和人民党と中道右派の国民救済党の連立であったため、当初から閣内不一致が目立ち、政権基盤は不安定であった。このため、キプロス危機で国民の支持を集めたエジェヴィトは、政局の安定を目指して総選挙の実施を図ったが、これに失敗して総辞職した。その後1975年3月31日に、公正党のデミレルを首班とする保守系4党(公正党、国民救済党、民族主義者行動党、共和信頼党)による民族主義者戦線(milliyetçi cephe)政権が成立し、国民救済党も副首相等の閣僚ポストを得た。 1970年代の連立政権にあって、国民救済党は、経済関連の閣僚ポストを獲得し、イマーム・ハティープ学校の設置促進や、国営企業の設立による地方への雇用創設などの政策を実現した。
※この「政権与党としての活動」の解説は、「国民救済党」の解説の一部です。
「政権与党としての活動」を含む「国民救済党」の記事については、「国民救済党」の概要を参照ください。
- 政権与党としての活動のページへのリンク