ルニオーネ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 14:15 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ルニオーネ(イタリア語: L'Unione)は、かつて存在したイタリアの政党連合。
「ルニオーネ」は、連合、団結を意味するイタリア語Unioneに定冠詞がついたものである。
歴史
概要
中道左派政党連合「オリーブの木」に新規参入の党を追加し拡大継続する形で、2005年2月10日に成立した。
この連合は2005年の地方選の前夜に、次の年の総選挙の準備も兼ねて、2001年からシルヴィオ・ベルルスコーニ政権の与党連合である自由の家(Casa delle Libertà)を倒す目的で作られた。2006年の総選挙では僅差で勝利を収め、第2次プローディ政権が誕生した。
2007年10月、左翼民主主義者、マルゲリータ、その他の複数の小政党が合併して民主党を結党した。民主党は二大政党制の実現を目指して右翼系の野党とも接近したが、民主党と同じ与党連合の左翼四党(共産主義再建党、イタリア共産主義者党、民主的左翼、緑の連盟)がこれに反発して「虹の左翼」を結成した。
2008年1月、欧州民主連合・人民が連立政権を離脱、内閣信任決議案に反対したことからプローディ内閣は総辞職し、大統領のナポリターノは上下両院を解散した。それに伴い民主党書記長のワルテル・ベルトローニは、総選挙をルニオーネではなく民主党単独名簿で臨むことを表明、「ルニオーネ」は事実上、終結した。
沿革
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「ルニオーネ」所属政党
- 民主党(PD)
- 共産主義再建党(PRC)
- 民主的左翼(SD)
- 民主連合
- イタリア民主社会党
- イタリア急進主義者
- 価値あるイタリア(IdV)
- 緑の連盟(Verdi)
- イタリア共産主義者党(PdCI)
- 社会主義者
- 消費者リスト
- 南チロル人民党
- ヴァレダオスタ連合
- ロンバルディア自治同盟
- ヴェネト戦線同盟
「ルニオーネ」内グループ
過去に所属していた政党
- 左翼民主主義者 - 2007年10月、民主党結成に伴い解散。
- マルゲリータ - 2007年10月、民主党結成に伴い解散。
- 年金受給者党 - 離脱後、自由の家に所属。
- 欧州民主連合・人民 - 2008年1月離脱。
関連項目
外部リンク
- L'Unione(公式サイト)
ルニオーネ
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「ロマーノ・プローディ」の記事における「ルニオーネ」の解説
2005年、オリーブの木を発展させた中道左派連合「ルニオーネ」を結成。2006年の総選挙ではルニオーネを率いてベルルスコーニ政権の中道右派連合「自由の家」に挑み、僅差で勝利。再び首相に就任した。 しかし左派からキリスト教民主主義政党までを含む9会派連立政権の運営には苦心し続け、2007年2月21日にはイタリア共和国軍のアフガニスタン駐留延長を含む外交方針案が一部の与党議員による造反によって否決された事を受け、ナポリターノ大統領に辞表を提出。野党連合は総選挙を求めたが、大統領は辞表を正式には受理せず続投を要請。翌月両院の信任を受けて危機を乗り切った。 その後中道左派政党を結集すべく、ルニオーネの中心政党でイタリア共産党の流れをくむ左派「左翼民主主義者」と中道右派「マルゲリータ」を合流させ、新党・「民主党」を結成し議長に就任した。 2008年1月、ルニオーネに所属していた「欧州民主連合・人民」書記長のクレメンテ・マステッラ(司法大臣)が自身への汚職捜査に対する不満と小選挙区制の復活を柱にする選挙制度案への危機感から連立離脱を表明。政権は上院で少数与党となった。 これをうけて2008年1月24日、上院で内閣信任決議案の投票が行われたが、その結果は賛成156、反対161、棄権1、で決議案は否決されたため、プローディは内閣総辞職を大統領に通知、政権は崩壊した。大統領は暫定政権の構築を試みたが調整がつかず、結局2月6日に議会を解散した。プローディはその直後の記者会見で今度の’総選挙には出馬せず、政界から引退すると発表した。(なお憲法の規定に基づき、大統領が次期首相を指名するまでプローディは首相の職務を遂行した)。
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