フォルツァ‐イタリア【(イタリア)forza italia】
フォルツァ・イタリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/21 08:31 UTC 版)
フォルツァ・イタリア Forza Italia(FI) | |
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書記長 | アントニオ・タイヤーニ |
成立年月日 |
(第一期) 1994年1月18日 (第二期) 2013年11月16日 |
解散年月日 | (第一期) 2009年3月27日 |
解散理由 | (第一期) 新党へ移行 |
後継政党 | (第一期) 自由の人民 |
本部所在地 | ローマ |
代議院議席数 |
44 / 400 (11%) |
元老院議席数 |
19 / 200 (10%) |
党員・党友数 | |
政治的思想・立場 |
自由保守主義 キリスト教民主主義 自由主義[3] 中道右派[4] - 右派[5][6] |
国際組織 | (第一期) 欧州人民党 |
フォルツァ・イタリア(イタリア語: Forza Italia, "FI")は、イタリアの政党。「フォルツァ」とはイタリア語で「がんばれ」を意味し、「フォルツァ・イタリア」の言葉は本党の設立以前から使われてきた[7]。1994年、シルヴィオ・ベルルスコーニにより結成された。
2009年、自由の人民結成に伴い解党したが、2013年に再結成した。
歴史
第一期
第二次世界大戦後、イタリア政界はキリスト教民主主義(DC)・イタリア社会党(PSI)による長期連立政権が運営されていた。しかし1990年代前半に発覚した政界汚職(タンジェントポリ)の摘発により、イタリア政界は大混乱に陥り、国民の政界不信は頂点に達しキリスト教民主党は分裂に追い込まれた。
そのような状況下、イタリアを代表する実業家であったベルルスコーニは1994年1月、新党「フォルツァ・イタリア」結成を突如発表し次期総選挙への出馬を表明した。
ベルルスコーニがフリーメイソンのロッジである「ロッジP2」の構成員であった当時のメンバーがその中核を占め、自ら率いるメディアグループフィニンヴェストによる大規模なメディア戦を展開して中道右派勢力を束ね政党連合(候補者名簿連合)「自由の極(イタリア北部)」「善政の極(イタリア南部)」を結成し、3月の総選挙では既存政党への批判を吸収し両院で第一党に躍進した。
左派系政党がイタリア民主党を結党したのに対抗して、国民同盟と合流して自由の人民を結成した。2009年3月27日、正式に単独政党としての同党は解散された。
第二期
2013年、ベルルスコーニの脱税容疑を発端とした党内対立により、求心力回復を目的に再結成した。しかしベルルスコーニ側近で副首相兼内相・自由の人民幹事長のアンジェリーノ・アルファノは再結成に参加せず、院内会派「新中道右派」を結成。中道右派勢力は分裂した[8]。
2023年6月12日にベルルスコーニが死去したため[9]、7月15日に副党首のアントニオ・タイヤーニを後任党首に選出。タイヤーニは「我々の党首はベルルスコーニだけ」として、党会合でトップの名称を「書記長」に変更するよう提案し、承認された[10]。
脚注
出典
- ^ 公式サイトでの公称数(現在は解党により消滅。)
- ^ Paola Di Caro (May 17, 2015). “Forza Italia, i tormenti di un partito”. il Corriere della Sera
- ^ Carlo Taormina (28 November 2013). “Silvio rialza la bandiera liberale e liberista”
- ^ Nicolò Conti (2015). “No Longer Pro-European? Politicisation and contestation of Europe and Italy”. In Andrea Mammone; Ercole Giap Parini; Giuseppe Veltri. The Routledge Handbook of Contemporary Italy: History, Politics, Society. Routledge. p. 139. ISBN 978-1-317-48755-5
- ^ Right-wing parties triumph in Italian regional election in key test ahead of European Parliament vote. The Daily Telegraph (2019年2月11日)
- ^ Political turmoil in Italy as far-right reaches for the reins. The Christian Science MONITOR.(2019年8月21日)
- ^ スポーツ競技でイタリア代表チームを応援する際などに用いる。同名のタイトルを持つ映画 "Forza Italia!"(1977年)も製作されている。
- ^ 『イタリア:中道右派が分裂 元首相の政治基盤弱体化』 Archived 2013年11月24日, at Archive.is毎日新聞、2013年11月16日
- ^ “ベルルスコーニ元イタリア首相、86歳で死去”. CNN. (2023年6月13日) 2023年7月19日閲覧。
- ^ “「党首」はベルルスコーニ氏だけ…イタリア連立与党が後任選出、名称は「書記長」に変更”. 読売新聞. (2023年7月16日) 2023年7月19日閲覧。
関連項目
外部リンク
- Forza Italia Sito Nazionale(公式サイト)
フォルツァ・イタリア
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「アレッサンドラ・ムッソリーニ」の記事における「フォルツァ・イタリア」の解説
2013年、「自由の人民」が分裂すると国民同盟系の議員らのイタリアのための未来と自由やイタリアの同胞ではなく、ベルルスコーニが再結党したフォルツァ・イタリアに参加した。同年の上院選挙に擁立されて上院議員に初当選したが、早くも翌年には欧州議会議員選挙に鞍替え出馬し、欧州議会議員に再選されている。 2015年、夫であるフロリアーニが児童買春の容疑で逮捕されるというスキャンダルが起き、裁判で夫は懲役1年を求刑された。以前からカトリック教会の性的虐待事件を批判していた事もあり、離婚こそ選択しなかったものの、テレビ番組のインタビューで妻や女性として許す事はできないと強く夫を非難した。その際に「祖父のムッソリーニが生き返れば何を聞きたいか」と質問され、「クラレッタ・ペタッチをどう思っていたか」と回答している。 2018年、五つ星運動と同盟の連立に協力的な姿勢を取り、閣外協力に消極的なベルルスコーニとの距離感が生じた。フォルツァ・イタリアを反EUとポピュリズムの潮流に乗せようとする動きは親EUと中道主義を堅持する党内で成功せず、離党を宣言したがベルルスコーニから慰留される形で選挙協力は維持している。 2019年、ジム・キャリーがドナルド・トランプ大統領を批判する意図でムッソリーニの処刑を揶揄するイラストを描いた事について「嫌な奴」(bastard)と呼び、「どうせなら核実験や黒人差別を描いたらどうか」と皮肉っている。
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