第26代連合艦隊司令長官とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第26代連合艦隊司令長官の意味・解説 

第26代連合艦隊司令長官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:10 UTC 版)

山本五十六」の記事における「第26代連合艦隊司令長官」の解説

1939年昭和14年8月30日山本は第26代連合艦隊司令長官(兼第一艦隊司令長官)に就任する山本連合艦隊司令長官任官されることを拒み吉田善吾海軍大臣内定された際、吉田の下で次官として留まり日米開戦回避出来るように補佐する事を要望して米内光政人事撤回強く要求した認められなかった。連合艦隊司令長官就任采配指揮能力買われたものではなく三国同盟強硬に反対する山本が、当時軍部内に存在した三国同盟賛成派勢力右翼勢力により暗殺される可能性米内危惧し一時的に海軍中央から遠ざけるためにこの人事を行った山本後任次官住山徳太郎について「海軍はだれが大臣次官になろうと、根本政策方針変わりなく微動だにしない住山が来たって同じで、その見本を示すためだ」と周囲語っていた。また山本自宅新聞記者前に普段飲まない酒を飲み最善御奉公をするつもりだと連合艦隊司令長官としての決意覚悟語っている。連合艦隊司令長官山本本望ではなく、後の兵学校同期生会で「仮に手柄をたてて賞められるようなことがあっても、それは次官当時、油をためた手柄に勝ることはなかろう」と話している。 山本アメリカとの戦争無謀知りつつ海軍軍人連合艦隊司令長官としてアメリカ仮想敵とした戦略練り連合艦隊参謀長福留繁ハワイ奇襲作戦について語っていた。また山本アメリカと戦うためには航空機増産しかないと信念に従って当時最新鋭零式艦上戦闘機一式陸上攻撃機各1,000機の増産求めるが、軍令部第一部長宇垣纏拒否された。福留によれば大和型戦艦3・4番艦(信濃111号艦)の建造中止させて航空機優先生産体制作るため、伊藤整一連合艦隊参謀長に、福留軍令部第一部長にする人事が行われた。当時水平爆撃命中精度著しく悪かったため、水平爆撃廃止論圧倒的に有力であったが、山本は「私が連合艦隊司令長官ある限り水平爆撃廃止しない」と明言した1940年昭和15年)、第二次世界大戦緒戦ナチス・ドイツフランス含めヨーロッパ全域掌握する同年2月下旬の手紙で山本三国同盟について「唯あんな同盟作って有頂天になった連中がいざと云う自主的に何処頑張り得るものか問題存じ候。当方要人異動匂いあり唯中央改善艦隊強化得失迷いあり候」と懸念していた。山本憂慮とは裏腹に日本ドイツへ接近強め日本海軍も親独傾向強めていた。 幾度か駐在経験からアメリカとの国力違い認識しており、4月11日故郷長岡中学校での講演で「伸びきったゴム役に立たない。今の日本は上から下まで、全国老人から子供までが、余りにも緊張し伸びきって、それで良いのか」と語りかけ、日本アジア真のリーダーなるには20-30年かかると述べている。 海軍省軍令部の省部合同会議総論として三国同盟締結傾き9月15日海軍首脳会議にて調印賛成方針決定した会議直前山本海軍大臣及川古志郎から機先を制され賛成するよう説得され会議では殆ど発言しなかったので、司会役の海軍次官豊田貞次郎により「海軍三国同盟賛成決定する」が正式な結論となる。山本条約成立米国との戦争発展する可能性指摘して陸上攻撃機配備数を2倍にすることを求めたのみだった。山本堀悌吉に「内乱では国は滅びない。が、戦争では国が滅びる。内乱避けるために、戦争賭けるとは、主客転倒甚だしい」と言い残して東京去った。2か月後の9月27日日本日独伊三国同盟調印した山本はこれを受け、友人原田熊雄に「全く狂気の沙汰事態がこうなった以上全力尽くすつもりだが、おそらく私は旗艦長門の上戦死する。そのころまでには東京何度も破壊され最悪の状態が来る」と語った三国同盟締結日本海軍海南島占領北部仏印進駐などにより、日本イギリスアメリカの関係は急速に悪化していった。当時総理大臣であった近衛文麿の『近衛日記』によると、近衛日米戦争場合見込み問われ山本は 「それは是非やれと言われれば初め半年1年の間は随分暴れてご覧に入れる然しながら2年3年となれば全く確信持てぬ。三国条約出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争回避する極極御努力願ひたい」 と発言している。 井上成美戦後この時の山本発言について「優柔不断な近衛さんに、海軍取りあえず1年だけでも戦えると間違った判断をさせてしまった。はっきりと、『海軍は(戦争を)やれません。戦えば必ず負けますと言った方が、戦争回避出来たかも知れない」と述べている。山本嶋田繁太郎宛てた手紙近衛との面会について「随分と人を馬鹿にしたる如き口吻にて現海軍大臣次官とに対し不平を言はれたり 是等言分近衛公の常習にて驚くに足らず要する近衛公や松岡外相等に信頼して海軍が足を地からはなす事は危険千万にして誠に 陛下対し奉り申訳なき事なりとの感を深く致候御参考迄」と論じている。同時期、山本訪問した反町英一に、秋に引退して故郷戻りたい語っている。11月10日宮城行われた紀元二千六百年記念行事には、蔣介石率い中国軍から宮城空爆されるのを防ぐとの理由参加しなかった。 1941年昭和16年1月7日海軍大臣及川古志郎への書簡戦備ニ関スル意見』にて「(真珠湾攻撃構想は)既に昨年11月下旬、一応口頭にて進言せる所と概ね重複す」とあり山本はすでに真珠湾攻撃検討していた。山本及川への書簡で、自分第一航空艦隊司令長官格下げ直接指揮させてほしいと希望し空母喪失引き換え戦争一日終え気構え示していた。また、山本連合艦隊司令長官には米内光政期待していた。また、新聞記者山本海軍大臣だった場合連合艦隊司令長官人事問われ米内さんだヨ。あのひと一人だネ」と答えている。書状には「大臣一人限御含迄」とあり、軍令部総長伏見宮には伏せていた。堀悌吉の手によれば及川米内連合艦隊長官人事同意したが、井上成美反対潰されたという。 1月14日ごろ山本第十一航空艦隊参謀長大西瀧治郎少将手紙送り1月26日27日大西長門山本訪ねてきた。大西の手紙の要旨は「国際情勢推移如何によっては、あるいは日米開戦已むなきに至るかもしれない日米干戈をとって相戦う場合、わが方としては、何か余程思い切った戦法をとらなければ勝ちを制することはできない。それには開戦劈頭ハワイ方面にある米国艦隊主力対し、わが第一第二航空戦隊飛行機隊の全力をもって痛撃与え当分の間米国艦隊西太平洋進行不可能ならしむるを要す目標米国戦艦群であり、攻撃雷撃隊による片道攻撃とする。本作戦は容易ならざることなるも、本職自らこの空襲部隊指揮官拝命し、作戦遂行全力を挙げる決意である。ついては、この作戦如何なる方法によって実施すればよいか研究してもらいたい。」という要旨であった大西第一航空戦隊参謀源田実作戦計画案を早急に作るように依頼してそれに大西手を加えて作案3月初旬ごろ山本のもとへ提出された。山本真珠湾水深の関係から雷撃ができなければ所期効果期待しえないので空襲作戦断念するつもりであった。しかし不可能ではないと判断されたため戦艦対し水平爆撃雷撃併用するになった1月24日衆議院議員笹川良一に「日米開戦に至らば己が目ざすところ、素よりグアム・フィリピンに非ずはたまたハワイ・サンフランシスコに非ず、実にワシントン・ホワイトハウスの思ならざるべからず当路為政果たして此本腰覚悟自信ありや」と語った4月地方長官会議東京集まった全国道府県長官知事旗艦長門」に招き、「イザ戦う時には水平線彼方に敵艦隊の煙が見え前に撃滅してしまう決心である」「私はつねに艦隊最先頭の旗艦艦橋にあって指揮する。これは日本海軍伝統なのです」と演説し国民向けた最後の言葉となった6月、自らを「昭和相模太郎北条時宗)」になぞらえ、「雄大なドイツ大作戦、ああ壮なる哉」と賞賛する。9月12日、再び近衛日米戦の見通しについて語り前年9月会見と同様内容答申しつつ、戦争になった場合山本自らが飛行機潜水艦乗って1年から1年半存分に暴れてみせると述べた

※この「第26代連合艦隊司令長官」の解説は、「山本五十六」の解説の一部です。
「第26代連合艦隊司令長官」を含む「山本五十六」の記事については、「山本五十六」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第26代連合艦隊司令長官」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第26代連合艦隊司令長官」の関連用語

第26代連合艦隊司令長官のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第26代連合艦隊司令長官のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの山本五十六 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS