戦術の実践
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/06 07:03 UTC 版)
開戦当初、ラドガ湖の北でソ連軍は電撃的な速度で進撃を続けていた。フィンランド軍は国境での防衛を断念し内地へ潰走していった。カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムは、急斜面の森に挟まれて細く長大な進軍路を進軍し続けてきた事でソ連軍が実質分散していることに気付いたパーヴォ・タルヴェラ大佐に予備兵力を与え、奇襲攻撃を加えた。快進撃にすっかり油断していたソ連軍は、小軍団に分断され後方との補給を絶たれた。これが最初のモッティ戦術実践であった。その後スキーを履き、装備も雪の色と同調させたフィンランド兵が、後方との連絡を絶たれたソ連軍を側面(進軍路両脇・積雪状態の斜面の森)より逐次奇襲した。こうしてフィンランド軍はソ連軍の各個撃破に成功した。 敵の弱点を突いて敵を混乱に陥れる、という面から言えばモッティ戦術は一種のゲリラ戦と言える。
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