爆撃機迎撃戦・ヴィルデ・ザウとは? わかりやすく解説

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爆撃機迎撃戦・ヴィルデ・ザウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 01:32 UTC 版)

フォッケウルフ Fw190」の記事における「爆撃機迎撃戦・ヴィルデ・ザウ」の解説

詳細は「ヴィルデ・ザウ」を参照 1940年6月より、ドイツ空軍メッサーシュミットBf 110による夜間戦闘機部隊編成したほどなく探照灯だけでなく、地上からのレーダー管制による夜間迎撃戦行えようになった。だが敵爆撃機侵入迎撃困難なほどに多くドイツ空軍夜間戦闘機少なすぎた。またレーダー組み合わせて夜間戦闘機(主にBf 110)を正確に誘導・管制するヒンメルベット・システムは1943年7月英軍ウィンドウにより麻痺させられていた。1943年7月24日ハンブルク迎撃戦では、791機の敵爆撃機のうち、わずか12機を撃墜きただけだった。 このため1943年の春までに、ハヨ・ヘルマン少佐発案により昼間迎撃戦闘機、即ちFw 190および一部Bf 109転用し夜間迎撃にも使用することになった。これは同じ機材昼間使い、さらに夜にも使うものであった。もちろん機体損耗激化し整備員巨大な負担要求された。こうした迎撃部隊は「ヴィルデ・ザウ」(イノシシ迎撃隊 / あらくれイノシシWilde Sau)と呼ばれた防空戦術簡単なもので、対象となりうる都市周辺昼間戦闘機空中待機集合させ、さらに限られた探照灯バッテリー集中配備するものであった機材により煌々と敵機照らせば、昼間戦闘機でも夜間迎撃戦が可能であろうという考えであり、レーダーなどが配備される前の、素朴な夜間迎撃戦、「明る夜間戦闘」を行う作戦であった空襲による町の火災がさらに迎撃戦助けたといった側面もある。また、探照灯によって上空一面の煙やへの照射行い敵機影を浮かび上がらせるようなことも行っており、照明弾用いられた。 4月はじめに実験部隊として特別夜間戦闘機12機が編成された。この機材第11戦航空団(JG11)からの借り物であった訓練続けられた。6月の末までには訓練完了ルール地方移動し作戦開始した。初の迎撃1943年7月3日ケルン北方50km地点行われこの際参加戦力Fw 190 Aが5機、Bf 109 Gが7機である。この攻撃で敵爆撃機12機を撃墜したが、味方にも1機の損害出した。他の部隊20機の撃墜報告しており、この夜の戦果の4割をこの実験航空隊挙げた。この作戦結果評価され7月19日には第300戦闘航空団(JG300)ヘルマン航空団ボン近郊発足し戦力30であった。この部隊は「ヴィルデ・ザウ」と名付けられ、第I飛行隊と第II飛行隊Fw 190を、第III飛行隊Bf 109 G装備した7月24日に英爆撃機791機によって行われたハンブルク空襲ではほとんど迎撃戦果をあげられず、敵の意図通り攻撃受けたドイツ空軍であったが、7月27日空襲に対して739機中17機、8月3日空襲に対して740機中30機を撃墜することに成功、この大部分ヴィルデ・ザウFw 190よるものである。彼らの迎撃容易にしたのは、ハンブルクの街の大火災により敵爆撃機明るく照らし出されていたからであったヴィルデ・ザウベルリンでの迎撃戦闘でも夜間戦闘機より効率良い働き見せ8月頃ヘルマン少佐がまとめた報告書によればヴィルデ・ザウ過去8週間80数機の撃墜報告している。参加したパイロット55であったまた、8月2日ヘルマン少佐には柏葉騎士十字章授与された。また新たに2つヴィルデ・ザウ戦闘航空団設立され、第30戦闘航空師団の下に、既存の第300戦闘航空団(JG300)、第301戦闘航空団(JG301)、第302戦闘航空団(JG302)、その他爆撃航空団偵察飛行隊を含む態勢となった。これらは9月26日ゲーリング命令により発足したが、Fw 190の数が足りずBf 109多数装備される状態であった。だがヴィルデ・ザウ奮闘し1943年秋に大きな戦果見せた無論全てヴィルデ・ザウ戦闘機による戦果ではないが、8月イギリス軍は4発重爆撃機300近く失っている。なお、通常の夜間戦闘機(主力Bf 110)もこの戦法用いている。これはイギリス軍ウィンドウにより、従来地上レーダーによる無線管制迎撃システムヒンメルベット」が通用しなくなったためである。 しかし1944年12月ヴィルデ・ザウアメリカ軍昼間爆撃迎撃という、当初コンセプトとは正反対任務強いられた夜間迎撃昼間迎撃では戦法が全く異なりパイロット戦術の変更完熟しないにもかかわらずこの投入行われた。またこの状況下では昼間夜間での機体共有不可となった。さらに昼間戦闘であれば夜間戦闘用搭載され追跡機上レーダー、FuG218「ネプトゥーン」などは不要であり、積載量余裕有るFw 190でなくともBf 109で十分と見なされ、代わりに多くBf 109補充された。夜間戦闘はこうした追跡用の機材搭載する余地が必要であり、Bf 110Me 262などの夜間戦闘機型にもネプトゥーンは装備されている。配備結果、9個飛行隊中、Fw 190装備するものはJG300の第II飛行隊のみとなった1944年6月以降はほとんどのFw 190機上レーダー降ろし終戦の日まで戦い続けた1943年夏頃より、連合軍爆撃機迎撃するため、両翼下に1発ずつの21cm空対空ロケット弾W.Gr21の装備運用開始された(A-4/R6)。このW.Gr21は21cm BRとも呼ばれる直径24cm、重量36kg、炸薬量9.5kg、飛翔速度は320m/sで時限信管採用した。もとは陸戦用の21cm ネーベルベルファー41改造した大型のもので、1943年後半から実戦投入され、Bf 109Fw 190Bf 110Me 410といった他の戦闘機でも運用された。直撃もしくは至近弾でも威力大きかったが、双発機であるBf 110はともかく、単発機搭載した場合は相当に飛行性能低下した。さらに新型小型ロケット弾でありMe 262にも搭載された、R4M存在する。これを積載した場合も、やはり敵戦闘機との空戦が困難となるほど飛行性能低下したという。 そのほか主翼下に20mmまたは30mm機関砲内蔵するゴンドラ装備するなど、火力増強志向し改修型見られた。

※この「爆撃機迎撃戦・ヴィルデ・ザウ」の解説は、「フォッケウルフ Fw190」の解説の一部です。
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