作戦結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 22:34 UTC 版)
5月19日サイパン着の東松8号船団をもって松輸送は予定の運航を終えた。松輸送への加入輸送船の損害は少数で、作戦は日本側の期待を越える成功を収めた。往航松船団に加入した輸送船のべ100隻以上のうち、損失は3隻にとどまり、特に陸軍の軍隊輸送船の沈没は1隻も無かった。護衛艦の損失も2隻だけだった。この点、アメリカ海軍の準公式戦史の執筆者であるサミュエル・モリソンは、松輸送外の第3530船団の例を引き、アメリカ太平洋艦隊が制海権を奪取したため、日本軍は4月以降サイパンの防備を増強できなかったと主張している。しかし、前述の数値からすれば、アメリカ軍が日本の輸送作戦を有効に妨害することができなかったのは確かと見られる。ただし、松輸送としての運行区間より先の最終目的地に至る区間での損失や、復航松船団など帰路での船舶被害による輸送力の消耗も考慮すると、完璧な成功とまでは言えないとの評価もある。 松輸送の成功、なかでも東松8号船団での第43師団主力の無傷でのサイパン到着は、当時の日本陸軍上層部により絶対国防圏の守備を盤石にするものと考えられた。東條参謀総長は、大本営での打ち合わせ席上、「海軍の努力によりわずかな損失だけでマリアナ諸島へ予定の兵力展開が終わり、サイパンは難攻不落になったので安心してほしい」旨の謝辞を中澤佑軍令部第一部長らに述べるほどだった。しかし、後述のように別船団で運ばれた後続部隊が海没してしまったうえ、築城資材も不足気味であった。完全な戦力発揮には、もう2-3カ月間の準備期間が必要だった。本来は1944年春に配置が終わっているべき部隊で時期的に手遅れだったのであり、本作戦の成功が6月15日からのサイパン地上戦における日本軍の勝利に結びつくことはなかった。一方、東松5号船団によって無事にパラオへ到着した第14師団は、アメリカ軍上陸まで約4カ月の準備期間があったため、ペリリューの戦いで善戦することができた。 なお、松輸送の終了後も中部太平洋方面への増援部隊輸送は続けられたが、こちらは大きな損害を出す結果に終わった。5月中に第3503船団や第43師団の後続部隊を積んだ第3530船団などの重要船団がサイパンに向けて出航し、多数の輸送船をアメリカ潜水艦の攻撃で失っている。6月に入って出航した第3606船団は旗艦の駆逐艦松風が撃沈され、中止となった。アメリカ軍上陸4日前の6月11日にサイパン所在の残存船舶は脱出を試みたが、第4611船団など多数が第58任務部隊の事前空襲に捕まり撃沈されている。
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