東松8号船団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 22:34 UTC 版)
松輸送を通じて最終便となった東松8号船団は、絶対国防圏の要と位置付けられたサイパンに守備隊の中核となる第43師団主力を輸送する最重要船団であった。そのため、本船団の運航には松輸送の中でも特別の配慮が向けられることになった。加入する輸送船3隻(能登丸、東山丸、さんとす丸)は船団速力12ノットを出せる高速船で揃えられ、護衛部隊も輸送船より多い4隻が付き、東松5号船団で経験を積んだ第3護衛船団司令官の鶴岡少将(旗艦皐月)が指揮官に任命された。横須賀鎮守府は低速輸送船1隻を追加しようとしたが、鶴岡少将らによって拒絶された。 5月13日、輸送船3隻は横浜を出発し、館山湾で仮泊。護衛艦4隻(駆逐艦皐月、海防艦天草、第四号海防艦、第六号海防艦)を加え、5月14日早朝、東松8号船団は館山湾を出撃した。船団は鶴岡少将らの判断で従来の松輸送とは異なり小笠原諸島を離れた洋心航路を採って、高速で南下した。洋心航路を選んだ理由は、小笠原の陸上航空部隊はレーダーを欠き夜間捜索能力に劣るうえ連日の作戦で疲労していることから、航空援護を期待するより、通常航路を外れることで敵潜水艦を回避する方が効果的であると考えたためであった。折しも悪天候に見舞われ、能登丸(陸兵4000名乗船)では将兵が船酔いに悩まされることになった。目論見通り敵潜水艦に遭遇することはなく、船団は5月19日に無傷でサイパンに到着した。アメリカ潜水艦の攻撃を心配していた大本営陸軍部作戦課は、本船団の無事な到着を聞くと万歳して喜んだという。 復航船団は、同じ輸送船3隻(能登丸、東山丸、さんとす丸)を護衛艦艇3隻(海防艦能美、海防艦隠岐、第32号駆潜艇)で護衛して5月20日に出航、被害を受けることなく5月26日に横浜港に帰着した。
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