特設護衛船団司令部一覧
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第一護衛船団司令部 1944年4月8日に編成され、横須賀鎮守府海上護衛部隊に編入。正式な編成前から東松3号船団を指揮していた。1944年5月2日に第一海上護衛隊へ編入されてヒ船団の護衛に投入されるが、わずか3週間で旗艦が撃沈されて司令官が戦死する。1944年10月11日付で、第四護衛船団司令部および第六護衛船団司令部とともに第一海上護衛隊から除かれて海上護衛総司令部附属部隊に編入。 伊集院松治少将(1944年4月8日-同年5月24日戦死) - 最終時にはヒ63船団指揮のため海防艦「壱岐」座乗 第二護衛船団司令部 1944年4月8日編成。横須賀鎮守府海上護衛部隊に編入され、松輸送で東松4号船団の指揮に従事。ついで同じくマリアナ諸島行きの第3503船団を指揮し、その復航の第4517船団では旗艦「朝凪」が撃沈されるが司令官以下第24号海防艦により救助される。司令官の交代後、同年7月23日または24日に小笠原諸島方面への緊急増援輸送のため再び横須賀鎮守府部隊へ編入されるが、8月に船団護衛任務中に旗艦が撃沈されて司令官以下全滅した。 清田孝彦少将(1944年4月8日-同年7月8日) 高橋一松少将(1944年7月8日-同年8月4日戦死) - 最終時には第4804船団指揮のため駆逐艦「松」座乗 第三護衛船団司令部 1944年4月8日編成。横須賀鎮守府海上護衛部隊に編入され、東松5号船団と東松8号船団の護衛を成功させるが、前者は輸送からの復航で2隻を失った。その後も司令官が交代しつつマリアナ諸島方面への輸送に従事するが、第3606船団護衛中に旗艦が撃沈されて着任間もない新司令官を失った。 鶴岡信道少将(1944年4月8日-同年6月1日) 門前鼎少将(1944年6月1日-同月9日戦死) - 最終時には第3606船団指揮のため駆逐艦「松風」座乗 第四護衛船団司令部 1944年4月8日編成。第一海上護衛隊に編入される。1944年10月11日付で、第一護衛船団司令部および第六護衛船団司令部とともに第一海上護衛隊から除かれて海上護衛総司令部附属部隊に編入。 中邑元司少将(1944年4月8日-同年5月20日) 第五護衛船団司令部 1944年4月8日編成。東松7号船団の護衛におおむね成功。横須賀鎮守府部隊から除かれて海上護衛総司令部附属を経て1944年6月29日に第一海上護衛隊へ編入され、門司・シンガポール間の船団護衛任務にも従事したが、1945年1月20日に戦時編制から除かれた。最後の司令官である久宗米次郎少将は同日付で新編の第103戦隊司令官に移った。 佐藤波蔵少将(1944年4月8日-同月15日) 吉富説三少将(1944年4月15日-同年12月25日) 久宗米次郎少将(1944年12月25日-1945年1月20日) 第六護衛船団司令部 1944年4月8日編成。編成間もなく竹一船団の護衛を担当し、1944年7月15日には第一海上護衛隊に編入されてヒ71船団などの重要船団の護衛に従事したが、担当船団に大きな損害を受けた。1944年9月12日に旗艦が撃沈されて司令官が戦死する。1944年10月11日付で、第一護衛船団司令部および第四護衛船団司令部とともに第一海上護衛隊から除かれて海上護衛総司令部附属部隊に編入。 梶岡定道少将(1944年4月8日-1944年9月12日戦死) - 最終時にはヒ72船団指揮のため海防艦「平戸」座乗 第七護衛船団司令部 1944年4月8日編成。横須賀鎮守府海上護衛部隊に編入され東松6号船団の護衛に成功後、海上護衛総司令部附属を経て1944年5月21日に第一海上護衛隊へ編入。門司・シンガポール間での船団護衛任務に従事し、1944年10月から11月には南西方面艦隊の指揮下に入って多号作戦にも参加したが、1945年2月25日に第一護衛艦隊の戦時編制から除かれた。最後の司令官である駒沢克己少将は第四海上護衛隊司令官に移っている。 松山光治少将(1944年4月8日-同年12月23日) 駒沢克己少将(1944年12月23日-1945年2月25日) 第八護衛船団司令部 1944年4月15日編成。第一海上護衛隊、後に第一護衛艦隊に属して門司・シンガポール間での船団護衛任務に従事したが、1945年3月25日に戦時編制から除かれた。 佐藤勉少将(1944年4月15日-1945年1月9日)
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