東松4号船団とは? わかりやすく解説

東松4号船団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 22:34 UTC 版)

松輸送」の記事における「東松4号船団」の解説

次の東松4号船団は輸送船26隻(途中でさらに2隻加入)と丁直接護衛部隊の護衛艦10から成る松輸送最大船団であった船団は、第2護衛船団司令部司令官清田孝彦少将)の指揮の下、4月1日東京湾出発、8ノット低速小笠原群島火山列島列島線西側沿いに南下した船団早くからアメリカ潜水艦接触を受け、護衛艦や直援機が爆雷投下頻繁に行った3日午後3時頃、貨物船東征丸(岡田商船:2814総トン)がアメリカ潜水艦ポラック発射した魚雷2発を受け、1時間ほどで沈没搭載物資弾薬食糧失われた同日には、貨物船はあぶる丸(大阪商船:5652総トン)もアメリカ潜水艦から雷撃され魚雷1発が命中した不発弾であった8日未明サイパン北西洋上差し掛かった船団新手アメリカ潜水艦トリガーから発見されトリガー魚雷4発を打ち込まれたが命中弾は無かった駆逐艦朝凪海防艦隠岐逆に爆雷攻撃により敵潜水艦撃沈確実を報じたが、トリガー各部損傷したもののなんとか逃げのびていた。同日夕刻パラオ行き船団分離した。なお、トリガーは翌9日にも対潜攻撃受けて損傷する作戦行動続け後述のように東松5号復航船団襲撃することになったサイパン到着目前となった船団本隊であったが、9日16時過ぎにサイパン西方75km付近アメリカ潜水艦シーホース攻撃を受け、美作丸(日本郵船:4667総トン)が被雷10日沈没海軍軍人軍属1069人中船員のうち18人が戦死し物資1440トンが海没した。なお、シーホース前日グアム沖で松江丸(西松2号船団パラオ着)などの船団襲って輸送船2隻を沈めていた。結局、2隻の沈没船はあったもののそれ以外の東松4号船団の各船は無事に目的地到着した東松4号復航船団4月14日編成され輸送船8隻と護衛艦4隻でサイパン出港輸送船1隻が故障脱落した以外は23日東京湾へと帰還できた。

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東松4号船団

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松輸送」の記事における「東松4号船団」の解説

4月1日東京湾発、4月10日サイパン着。

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