東松4号船団
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次の東松4号船団は輸送船26隻(途中でさらに2隻加入)と丁直接護衛部隊の護衛艦10隻から成る松輸送で最大の船団であった。船団は、第2護衛船団司令部(司令官:清田孝彦少将)の指揮の下、4月1日に東京湾を出発、8ノットの低速で小笠原群島・火山列島の列島線西側沿いに南下した。船団は早くからアメリカ潜水艦の接触を受け、護衛艦や直援機が爆雷投下を頻繁に行った。3日午後3時頃、貨物船の東征丸(岡田商船:2814総トン)がアメリカの潜水艦ポラックの発射した魚雷2発を受け、1時間ほどで沈没、搭載物資の弾薬と食糧が失われた。同日には、貨物船はあぶる丸(大阪商船:5652総トン)もアメリカの潜水艦から雷撃され、魚雷1発が命中したが不発弾であった。 8日未明、サイパン北西洋上に差し掛かった船団は新手のアメリカの潜水艦トリガーから発見され、トリガーの魚雷4発を打ち込まれたが命中弾は無かった。駆逐艦朝凪と海防艦隠岐が逆に爆雷攻撃により敵潜水艦撃沈確実を報じたが、トリガーは各部に損傷したもののなんとか逃げのびていた。同日夕刻、パラオ行き船団が分離した。なお、トリガーは翌9日にも対潜攻撃を受けて損傷するが作戦行動を続け、後述のように東松5号復航船団を襲撃することになった。 サイパン到着目前となった船団本隊であったが、9日16時過ぎにサイパン西方75km付近でアメリカの潜水艦シーホースの攻撃を受け、美作丸(日本郵船:4667総トン)が被雷し10日に沈没。海軍軍人・軍属1069人中と船員のうち18人が戦死し、物資1440トンが海没した。なお、シーホースは前日にグアム沖で松江丸(西松2号船団でパラオ着)などの船団を襲って輸送船2隻を沈めていた。結局、2隻の沈没船はあったもののそれ以外の東松4号船団の各船は無事に目的地に到着した。 東松4号復航船団は4月14日に編成され、輸送船8隻と護衛艦4隻でサイパンを出港、輸送船1隻が故障脱落した以外は23日に東京湾へと帰還できた。
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東松4号船団
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