東松2号船団とは? わかりやすく解説

東松2号船団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 22:34 UTC 版)

松輸送」の記事における「東松2号船団」の解説

2回目東松輸送である東松2号船団は、第31軍司令部派遣隊多数を含む重要船団で、当初から船団として運航された。加入輸送船12隻、直衛は乙直接護衛部隊の9隻で、軽巡龍田旗艦とし駆逐艦4隻を含む強力な陣容だった。さらに、前路哨戒のために水雷艇1隻・掃海艇2隻・漁船7隻も協力した船団速力8.5ノットである。船団重要性かんがみ航空支援担当する2号特別哨戒飛行隊陸上攻撃機5機・大型飛行艇3機・艦上攻撃機6機)が第901航空隊と第903航空隊から集成された。同飛行隊は、海上護衛総司令部参謀副長島本久五郎少将指導の下、船団行動合わせて硫黄島サイパン島などの陸上基地進出し対潜哨戒にあたることになった3月9日東京湾集結した船団横須賀船団会議開き、翌10日湾内での訓練充てた後、出航一日延期して12日未明木更津錨地出撃した。ところが出航翌日13日午前3時頃、八丈島西南西74km付近船団アメリカ潜水艦サンドランスから発見された。当時風速10m前後強風波浪のため海上視界不良で、日本側は奇襲攻撃許してしまった。サンドランス放った魚雷旗艦龍田船団運航指揮官乗船の国陽丸(大阪商船:4607総トン)に相次いで命中しいずれも沈没したサンドランスはさらに1隻の輸送船撃沈報じているが、日本側に該当記録はない。龍田の第11水雷戦隊司令部駆逐艦野分移乗し指揮継続したが、国陽丸の運航指揮官近野信雄大佐は退艦せずに戦死したその後は敵潜水艦しきもの爆雷制圧しつつ安全に航行し18日パガン島行き高岡丸(第1派遣隊乗船)を分離19日サイパンへと入港したカロリン諸島エンダービー島現在のプルワト環礁)やトラック島へ向かう船は、船団離れて第二海上護衛隊指揮下で航海続け無事に目的地部隊揚陸した。 復航船団は、3月20日命令輸送船14隻と護衛艦7隻により編成された。24日サイパン出港し運送艦宗谷故障離脱したほか、4月1日無事に東京湾到着した

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東松2号船団

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松輸送」の記事における「東松2号船団」の解説

3月12日東京湾発、3月19日サイパン着。20日カロリン諸島行きの船は船団から除外された。

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