謝辞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:37 UTC 版)
「西南学院大学」に奉職して、はや45年。私は昨年の皐月に古稀の祝いを迎えることができた。「古稀」は杜甫の詩句「人生七十古来稀なり」に由来する。今日の平均寿命からすれば、特に珍しいことでもないが、幼少の頃から虚弱体質。20歳までの寿命と言われた私は、ここまで命長らえたことを大いに喜びたい。それよりも、本年弥生末日を以って停年退職。博多弁には、「好き易すの厭き易す」という言葉があるそうだが、まさに厭きっぽいこの私が、よくぞここまでと、自身が驚いている。私が赴任した頃は、教員も職員も今日の半数ほどでしかなく、まさに「西南ファミリー」が根付いていた良き時代。それでいて、「西南大は遅れている」との批判も飛び交い、躍進する時代であった。私が大学の最前線に立たされた間は、「遅れているのも幸い、進んでいる大学の実状をつぶさに調査して、西南大に合った最高のシステムを構築すればよいではないか」と思いながら、実際、そのように努めた積もりではある。 すでに、私のゼミナールから輩出した学部の学生は1,030余名。大学院の学生は40余名。ここまでやれたのは、これだけの学生に恵まれたからかもしれない。赴任した頃の私は、「文武両道」とばかりに、学生時代に少しは鍛えた「遊び事」にも自信があってか、不遜ながら、学生を遊んでやっているような気持ちでいたのだが、学生の文武両道は日進月歩、私の遊び事は全く疏かになってしまい、いつのまにか、学生に遊んでもらっているような気持ちに。これだけの学生が社会・学界に巣立って、良き家庭人、優れた社会人・学界人として活躍しているのを見聞きするにつれて、私はこの実に楽しかった日々が走馬燈のように思い出される。ゼミナールの卒業生の多幸を祈念するばかりである。 もちろん、私は西南大の環境に感謝しておかねばならない。私が赴任した頃の「学術研究所」は木造。歩けば廊下がきしむ、まさに鴬張りであった。学部別に区画されていないためか、口の悪い先生からは、「雑居小屋」と愛称されていた。これが私には大いに幸いした。私の研究は「ドイツ簿記の16世紀から今日の複式簿記会計への進化」。16世紀といえば「大航海時代」。ヨーロッパ全土を巻き込んだ「商業革命」と「宗教改革」の時代でもある。中世のドイツ語はもちろん、英語、フランス語、イタリア語、オランダ語、はてはラテン語まで読み熟なさねばならない。幸いに、この雑居小屋には、いずれの語学も専門とされる先生がおいでになるので、直接に教えを乞うことも可能である。いつでも私に時間を割いて懇切に教えて頂いたものである。さらに、経済史を専門とされる先生からは、国内外の資料目録まで作成して頂いたものである。宗教史を専門とされる先生からは、カトリック教会法に公布された「徴利禁止令」について、これを発令した教皇の膨大な教書集まで探し出してもらい、ラテン語に全く不案内の私に翻訳までして教えて頂いたものである。後に改築されて、私に新たに愛称される、この「学際ビル」こそは、まさに「知識の生きる宝庫」。いつでも私の家庭教師になってもらえる先生がおいでになる研究棟であったことになる。 そのようなわけで、この多くの先生の力添えによって出版しえた著書は、幸いにも、すべて学会賞にノミネート。事実、「日本会計研究学会太田賞」、「日本簿記学会賞」と「日本会計史学会賞」を受賞。私は簿記と会計に関わる学会賞の稀有の「三冠王」に輝くことができた。研究仲間からは、「学会賞あらし」の異名すら頂戴したものだが、異口同音に、これだけの研究が私1人でできたことに驚き、不思議がられたものである。私はこの西南大の環境をいくら説明しても、なかなか納得してもらえなかったほどである。この多くの先生に感謝しておかねばならない。 これに併せて、職員の皆様にも感謝しておかねばならない。大学図書館には、困難を極めた資料収集に尽力して頂いたこと、学術研究所には、幾度となく研究費補助や出版助成の煩雑な申請に尽力して頂いたこと、さらに、不本意ながら、大学の最前線に立たされた12年間は、不得手で不器用な私を誠実に支援して頂いたことを思い出しながら、「大学人」として可もなく不可もなく職務を果たしえたようで、私は、改めてこの西南大の環境に感謝しておきたい。 2013(平成25)年弥生吉日-資料「定年退職の挨拶」(前掲誌)より抜粋
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