作戦行動の概略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/31 16:08 UTC 版)
1940年6月から、イタリア潜水艦3隻がカナリア諸島、マデイラ諸島沖をさらに3隻が続いてアゾレス諸島沖を哨戒した。これらの哨戒は無事に終わり、6隻の潜水艦はボルドーの新基地へ帰還した。イタリア潜水艦は初期には ウェスタン・アプローチを哨戒海域として割り当てられていたが、同盟国ドイツ潜水艦隊にはあてにされていなかった。デーニッツはイタリア潜水艦隊について現実主義的な見方をしていて、彼らは経験が浅いものの偵察には使え、さらに経験を積んでいけるものと考えていた。 BETASOM所属の7隻の潜水艦(バニョーリ、バルバリゴ、カッペリーニ、フィンジ、ジュリアーニ、タッツオーリ及びトレッリ)が大日本帝国海軍との間の共同作戦並びに軍需物資の輸送のために改造された。その内の2隻は、日本軍の占領区域に向かう途中で連合国軍により沈められ、日本軍の占領地域で共同作戦の任務に就いた3隻は1943年9月のイタリアの講和後に、日本海軍との共同作戦のために派遣されていたペナンにおいて日本海軍とドイツ海軍により接収され、以後ドイツ海軍によって使用された。 その後1隻はドイツ海軍による作戦活動中にイギリス海軍の潜水艦により沈められ、残る2隻は1945年5月ドイツの降伏により、ペナンにおいて日本海軍に接収され終戦までの間使用された。残る2隻はボルドーでドイツ海軍に接収されたが、その後は使用されなかった。
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