作戦背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 10:27 UTC 版)
オーストラリアの信託統治領であったニューギニアやビスマルク諸島は、第二次世界大戦の太平洋戦争で日本軍の攻略目標となった。1942年(昭和17年)1月、日本海軍の第四艦隊(南洋部隊)がラバウル攻略作戦を発動し、南雲機動部隊の支援下で、ビスマルク諸島(ニューブリテン島、ニューアイルランド島)を占領した。ラバウルはソロモン諸島方面進出の拠点、パプアニューギニア方面進出の拠点、オーストラリアへの空襲を支援する拠点になった。その後、南東方面の作戦を担当するため日本海軍の第八艦隊や南東方面艦隊、日本陸軍の第8方面軍(司令官今村均陸軍中将)が新編された。 1943年(昭和18年)中盤にカートホイール作戦を発動した連合国軍は、まず中部ソロモン諸島方面におけるニュージョージア島諸島攻防戦に勝利し、次にブーゲンビル島に上陸した。日本海軍の反撃は、ブーゲンビル島沖海戦およびラバウル空襲と同方面航空戦(ろ号作戦)で撃退される。連合軍はブーゲンビル島の飛行場を整備すると、ここから発進する戦闘機と爆撃機によってラバウルを無力化し、制空権と制海権の両方を握った。だがニューアイルランド島のカビエンはアメリカ陸軍航空軍の戦闘機の航続距離外だったので、爆撃機は護衛なしでの攻撃を余儀なくされる。そこで第3艦隊(ハルゼー提督)から空母機動部隊が選抜され、マッカーサー軍に協力してカビエンを攻撃することになった。任務部隊の指揮官は“テッド”シャーマン少将、正規空母バンカー・ヒル (USS Bunker Hill, CV-9) 、軽空母モンテレー (USS Monterey, CVL-26) が選ばれた。 ニューギニア方面の攻防戦では、ダグラス・マッカーサー総司令官の指揮下で南西太平洋方面軍が長距離爆撃機(B-17など)を活用しつつ、日本軍を追い詰めていた。10月にフォン半島フィンシュハーフェンに上陸作戦をおこない、ダンピール海峡突破も時間の問題となっていた。12月15日にはニューブリテン島西端のグロスター岬に連合国軍先遣隊が上陸し、同月26日には第1海兵師団が上陸した(グロスター岬攻防戦)。 日本側は、連合国軍の進攻目標についてラバウルと考えていたし、マッカーサー将軍もそのつもりだった。実際に連合国軍がニューブリテン島西部に上陸作戦を開始し、日本軍はビスマルク諸島全域の防備を増強せねばならなくなる。カビエン港を擁するニューアイルランド島の防衛も重要であり、守備隊(第十四根拠地隊)に対する兵力増強が要請された。栃木県宇都宮で編成された独立混成歩兵第一連隊が派遣される。その輸送を戊号輸送と呼称する。内地から急速、安全に輸送するため、輸送は海軍艦艇によって行なわれた。この時点で日本側は再建したばかりの第一航空戦隊の母艦航空部隊を航空戦に投入して大損害を受けており、航空母艦は内地に戻っている。このため基地航空部隊が上空援護を担当し、第二航空戦隊から零戦を派遣して航空戦力を増強した。
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