1945年-沈没とは? わかりやすく解説

1945年-沈没

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 17:57 UTC 版)

千振 (海防艦)」の記事における「1945年-沈没」の解説

1945年昭和20年1月4日池田司令指揮する第一海防隊(千振第17号海防艦第19号海防艦)は、サンジャック燃料満載の上進出待機するよう第五艦隊から命ぜられた日栄丸を護衛して昭南出港した。これは、後述第二遊撃部隊指揮官志摩清英第五艦隊司令長官)が比島方面出撃するための燃料であった日栄丸に重油13,000トン搭載され便乗205名を乗せていた。6日船団北緯0430東経10330分 / 北緯4.500度 東経103.500度 / 4.500; 103.500の地点で米潜べスゴ(USS Besugo, SS-321)に発見される。2215、べスゴ魚雷6本を発射。うち1本が日栄丸の左舷後部機関室命中火災発生した日栄丸は5時間後に沈没した海防艦3隻は日栄丸の生存者救助した後、そのままサンジャック向かった10日第一海防隊はサンジャック到着した今度11日サンジャック到着予定海軍徴用船神靖丸(栗林商船、2,800トン)を護衛するよう命じられた。 詳細は「グラティテュード作戦」を参照 この時、海軍第38任務部隊司令官ジョン・S・マケイン・シニア中将)に属す高速空母部隊には、南シナ海侵入し日本の艦船攻撃する任務与えられた。その主要な攻撃目標は、3日カムラン湾への進出命令を受け(南西方面部隊電令作第2号シンガポール出撃準備中だった航空戦艦2隻(日向伊勢)や第二水雷戦隊司令官古村啓蔵少将)等で編成され第二遊撃部隊であったカムラン湾集結した第二遊撃部隊を叩くことを目標とする第38任務部隊南シナ海侵入計画は、グラティテュード作戦OperationGratitude”)と命名された。第38任務部隊7日から8日ルソン海峡突破し南シナ海侵入開始した。しかし、第二遊撃部隊1月7日カムラン湾進出命令取り消され南西方面部隊電令作第7号)、主力リンガ泊地碇泊していたため発見できず、第38任務部隊やむなく輸送船などを代わりに攻撃することにした。米軍機部隊作戦により、ヒ86船団旗艦香椎、第101戦隊司令官渋谷紫郎少将)が壊滅的被害受けている。 11日2TM型戦時標準タンカーあやゆき丸(日本海運、2,854トン)、同弘進丸(日本油槽船、2,854トン)、逓信省平時標準B型貨物船東裕丸(岡田商船、4,532トン)他輸送船3隻からなるサタ05船団護衛部隊がサンジャック出撃したが、このうち149輸送艦荒波沈没する可能性があるため危険と判断したため船団から分離しサンジャック戻った夕刻、B-24型爆撃機小数機がサンジャック偵察した12日サンジャック第38任務部隊艦上機による空襲見舞われたため、千振第17号海防艦第19号海防艦対空戦闘行ったが、正午過ぎには全滅した僚艦第17号海防艦は、空襲開始からまもなくTBF雷撃機アヴェンジャーから投下され魚雷2本が命中して轟沈した。第19号海防艦は、直撃弾1、航空魚雷1、至近多数を受け、午前11前に沈没した千振では、0951に左舷後部右舷後部至近弾を受ける。1012には左舷二番応急弾薬庫付近に爆弾1発を被弾。幸い不発だったものの、上甲板直径約70cmの破孔開いた対空戦闘行いつつ、内火艇派遣して僚艦救助をおこなう。また戦闘中第五艦隊旗艦足柄よりシンガポール帰投するよう命令があり、片舷航行状態で出港準備をおこなっていたという。1120、千振二番砲、機械室士官浴室爆弾1発ずつ被弾し、艦後部大火災となり、上甲板付近まで沈下する総員退去となり、12時30分頃に沈没した千振では乗員86名(もしくは88名)が戦死し、4名が負傷した第一海防隊3隻の乗組員合計528であったが、戦死者261名、生存者267であったという。第一海防隊3隻は第38任務部隊の本来の目標であった第二遊撃部隊の中で唯一グラティテュード作戦により失われたとなった護衛対象の神靖丸もまた沈没したほか、サンジャック在泊中の2TL型戦時標準タンカー明石丸西大漁業10,045トン)、特設運送船(給油船)球磨川丸(東洋海運、7,510トン)も撃沈された。 第149輸送艦被弾炎上するも、修理の後2月10日除籍され雑役船第2黒潮改名6月12日、第57駆潜艇とともにアンダマン・ニコバル諸島へ向かう途中、英駆逐艦エスキモーen:HMS Eskimo (F75))の魚雷命中し爆発その後沈没した1945年昭和20年3月10日千振帝国海防艦籍および御蔵型海防艦より除かれた。千振艦名海上自衛隊掃海艇「ちぶり」に引き継がれた。

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1945年-沈没

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 05:52 UTC 版)

伯剌西爾丸」の記事における「1945年-沈没」の解説

2隻に乗船した捕虜のうち、イギリス人オランダ人グループ伯剌西爾丸から江ノ浦丸に移されたが、のちにはほかの捕虜全員江ノ浦丸に移されることとなったその間にも捕虜死亡は相次ぎ1945年昭和20年1月1日から4日までの間に伯剌西爾丸で5名、江ノ浦丸で4名の捕虜亡くなり6日にも伯剌西爾丸乗船中の捕虜のうち10名が亡くなった1月9日1100高雄第38任務部隊艦載機空襲を受ける。この空襲江ノ浦丸が1番船付近に爆弾直撃するなどして大破し少なくとも252名が死亡した同船12日空襲再度被弾し沈没した残った捕虜450名が伯剌西爾丸収容され残り高雄上陸した14日伯剌西爾丸捕虜の他、袋詰め貨物12袋、砂糖100袋を積みめるぼるん丸(大阪商船、5,438トン)、大威丸、大郁丸(大阪商船、6,886トン)他輸送船3隻とともにタモ37船団編成し駆逐艦朝顔海防艦屋代第1号海防艦、第36号海防艦、第134海防艦第21号掃海艇護衛高雄出港16日2TL型戦時標準タンカー大邦丸(飯野海運10,045トン)が機関故障起こした同日、第130号海防艦加入17日0500、伯剌西爾丸機関故障起こす。さらに大邦丸と衝突事故起こした大威丸を曳航したため、機関過負荷がかかることになった18日復旧した大威丸、大邦丸が屋代、第36号海防艦と共に船団から分離19日1900船団は泗礁山泊地到着する伯剌西爾丸同地船団から分離し機関修理を受ける。22日0530、大邦丸以下の船団が泗礁山泊地到着船団そのままタモ37B船団となり、修理終えた伯剌西爾丸はこの船団編入船団同日1400出港24日馬路海に到着25日出港し同日麗水到着26日出港し同日鎮海到着28日0500に出港し29日0400に六連到着した門司伯剌西爾丸から降ろされ捕虜九州朝鮮半島満州分散され、3か月以内100名以上が獄死一説には福岡県内5つ捕虜収容所500名以上 が獄死したとされた。 2月28日伯剌西爾丸陸軍兵士370名、砂糖3,000トン搭載して寿山丸(大連汽船、3,943トン)他輸送船2隻とともにタモ46船団編成し、第60駆潜艇護衛基隆出港同日、東犬島西南沖に仮泊3月1日出港し同日馬祖山に到着3日出港し4日に泗礁山泊地到着5日出港し9日六連到着した5月12日神戸和田岬燈台沖2Km地点付近北緯343958東経135度1200秒 / 北緯34.666度 東経135.2度 / 34.666; 135.2)で触雷して沈没した同日壱岐島沖で智利丸(山下汽船、5,860トン)も空爆撃沈され、2隻の沈没最後に日本残った第一大福丸型貨物船姿を消した

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1945年 沈没

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杵埼 (給糧艦)」の記事における「1945年 沈没」の解説

1945年2月26日カタ604船団加入して那覇へ向け鹿児島発。3月1日久慈湾仮泊同日久慈湾内でアメリカ艦上機攻撃を受け、被爆し沈没した5月10日埼は埼型運送艦から削除され帝国特務艦籍から除かれた。

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