1945年以降のスイス
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「スイスの歴史」の記事における「1945年以降のスイス」の解説
ネスレなどが戦後景気を享受し、土地投機が野放しにされた。スイスは原子爆弾(原爆)の製造と所持を検討し、連邦工業研究所のポール・シェラー博士に計画の作成を依頼した。しかし、1958年の国民投票で原爆不保有が決まり、計画は破棄された。1959年の国民投票で婦人参政権案が否決された。連邦議会から選出を受ける連邦参事会は同年以降、4つの政党の代表者によって構成されている。プロテスタントの自由民主党、カトリックのキリスト教民主党、左派の社会民主党、右派の国民党である。 1960年5月3日、イギリス・オーストリア・スウェーデン・デンマーク・ノルウェー・ポルトガル・スイスの7か国で欧州自由貿易連合を結成し、外国人労働力を導入した。これがもとで世界中へ瞬く間に投資信託が広まった。1963年5月6日、スイスは欧州議会に参加した。スイスは中立を国是としているが、国際的な承認を得続けるために国際活動には積極的に参加している。1971年の国民投票で女性の参政権を認めた。1979年、ベルン州の一部が独立してジュラ州となった。1984年、Elisabeth Kopp(英語版)が連邦閣僚に選ばれた最初の女性となる。財界との癒着を指弾する世論によって、1989年に降ろされた。 1985年、総人口に占める農民の割合が1940年には20%だったものが5%となって、スイスが農民連合であった面影は失われていた。1990年、冷戦で連邦検察庁が不審な市民のブラックリストを作成していた事実が公となった。一民間団体がロマを半世紀近く軟禁できる国であり、個人情報の漏洩は公然の秘密であった。 戦後、何度か国際連合加盟の是非を問う国民投票が行われたが、賛成票が必要数に満たず見送られていた。しかし、2002年の投票で賛成派が可決数を超えたことで加入した。スイスは国民投票によって国際連合への加入を決定した唯一の国である。ただし、依然としてEUには加入していない。1995年、オーストリアのEU加盟によってリヒテンシュタインを除く全ての国境をEU加盟国に囲まれることになった。2004年10月26日、スイスはシェンゲン協定に加盟(2008年12月12日に施行)し、シェンゲン圏に入った。
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