1945年、第二次世界大戦終戦とは? わかりやすく解説

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1945年、第二次世界大戦終戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 20:58 UTC 版)

精神保健の歴史」の記事における「1945年、第二次世界大戦終戦」の解説

1946年ウォルター・フリーマンが、経眼窩術式という精神外科手術アメリカ合衆国創始する。別名「アイスピック・ロボトミー」と呼ばれた1948年キングス・カレッジ・ロンドン精神医学研究所 (IoP) 設立1949年オーストラリア精神科医ジョン・ケイドによるリチウム塩治療作用発見1952年フランス精神科医ジャン・ドレー (Jean Delay) とピエール・ドニカー (Pierre Deniker) がクロルプロマジン統合失調症対す治療効果初め正しく評価した薬物療法夜明け1952年アメリカ精神医学会精神障害に関するガイドライン精神障害の診断と統計マニュアルDSM)」初版(DSM-I)を出す。 1954年デンマーク精神科医ケイドリチウム塩治療作用発見正しいことを確認し使用開始1957年ベルギー薬理学者パウル・ヤンセン ('Paul Janssen') がクロルプロマジンより優れた抗精神病薬ハロペリドール開発1957年スイス精神科医ローラント・クーンによってイミプラミンが、精神賦活作用有することが見いだされうつ病薬物療法への道が開かれた1959年イギリス1959年精神保健法英語版成立拘留ではなく自由意志での入院促進される。のちの1961年当時保健大臣イーノック・パウエル(Enoch Powell)が精神病院終了コミュニティケア政策予言する1963年アメリカにて「精神病及び精神薄弱に関する大統領教書」(Special Message to the Congress on Mental Illness and Mental Retardationケネディ教書精神医療における脱施設化(英語版)が掲げられる1967年イギリス精神科医デヴィッド・クーパー (David Cooper) は反精神医学唱え精神分裂病存在しない主張その理論大方の承認を得るまでには至っていない。 1968年イタリア精神病院医師会働きかけにより法431号が制定され、自由入院が可能となり、1:4の人員配置社会福祉士心理士配置総合病院内への精神科病床設置外来設置精神衛生センター設置なども進められた。 1971年向精神薬に関する条約公布1978年イタリアでフランコ・バザーリアとミケーレ・ザネッティにより、通称バザリア法」が成立世界初精神病院廃絶法。 1980年ベトナム戦争帰還兵影響を受け、DSM-III心的外傷後ストレス障害(PSTD)が新たに加わる。 1981年イギリス医師ローナ・ウィングLorna Wing)がアスペルガー症候群発見紹介1984年非定型抗精神病薬リスペリドン開発される1980年代初頭フィンランドのケロプダス病院で、オープン・ダイアローグ療法が、開始される

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1945年、第二次世界大戦終戦

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精神保健の歴史」の記事における「1945年、第二次世界大戦終戦」の解説

戦後日本軍備蓄のメタンフェタミンが市場流入薬物依存症者が大量に発生し社会問題になる(覚醒剤#歴史参照)。 1948年昭和23年)、優生保護法施行精神障害者対す人工妊娠中絶合法化詳細は「優生学」および「断種」を参照 1949年昭和24年)、日本精神科病院協会設立1950年代精神科病院建設ブーム向精神薬クロルプロマジン」が発見開発導入され薬物療法幕開け。「精神医学」も参照 1950年昭和25年精神衛生法施行同法施行に伴い精神病監護法、精神病院法廃止私宅監置禁止と共に医療保護入院措置入院緊急措置入院新設された。「精神科」も参照 臺弘人体実験研究ロボトミー臺実験」が実施された。 1951年昭和26年)、覚醒剤取締法施行1952年昭和27年)、新潟精神病院にて入院患者ツツガムシ病人体実験が行われる(新潟大学におけるツツガムシ病原菌の人体接種問題)。後に国会にて参考人招致1955年昭和30年6月16日 - 千葉県市川市精神病院火災入院患者18人が焼死1958年昭和33年)、学校保健法(現・学校保健安全法第11条に基づき就学時健康診断が始まる(知能検査#利用の歴史知能指数#活用の項も参照)。 1960年昭和35年医療金融公庫設立私立病院新設改築起債並の甘い条件融資する3月19日 - 福岡県久留米市精神病院火災入院患者11人が焼死1964年昭和39年)、ライシャワー駐日大使刺傷事件発生する精神障害者隔離収容すべき、と言う新聞や雑誌などが主張し世論野放しは危険と支持して厚生省日本のハンセン病問題同様に精神科病院への隔離収容政策社会的入院)を始める。 1965年昭和40年)、精神衛生法改正通院医療費公費負担制度創設される精神分裂病気分障害患者家族らでつくる精神障害者家族会全国連合会組織全国精神障害者家族会連合会全家連)が設立1968年昭和43年)、世界保健機関クラーク勧告日本宣告し日本における人権蹂躙精神医療警告発するも、この警告無視された。 1970年昭和45年)、栃木県両毛病院入院患者6人が脱走を図るために放火逃げ遅れた17人が死亡主犯は、後に懲役12年実刑判決を受ける。 1971年昭和46年)、東京いのちの電話開設される1974年昭和49年)、厚生省通知療育手帳制度について」及び「療育手帳制度実施について」を出し知的障害者向けの障害者手帳制度が始まる(療育手帳の項参照)。第1回全国精神障害者交流集会開催され、それをきっかけとして患者個人全国組織全国「精神病」者集団結成される精神科デイケア医療保険対象になる。 1975年昭和50年)、日本精神神経学会が『精神外科』を否定する決議採択ロボトミー手術廃止宣言患者通信面会自由に関す決議採択1970年代大阪府精神障害者家族会連合会大家連)が大阪の各放送局対しきちがい」の用語使用抗議運動展開する精神障害者家族会放送問題用語放送禁止用語差別用語言葉狩りの項も参照)。 1970年代半ば法定外の福祉施設小規模作業所設置運動が置き、1980年代にその設置本格化した。 1975年昭和50年)、断酒ミーティングアルコホーリクス・アノニマスが東京始められる1976年昭和51年)、個別Sが大阪拘置所死亡1979年昭和53年)、ロボトミー殺人事件発生する1980年昭和55年)、新宿西口バス放火事件発生する1984年昭和59年)、べてるの家発足。死の患者リンチが行われた宇都宮病院事件3月14日明るみに出る報徳会宇都宮病院2020年現在病院運営継続している。

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