国会にて
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2009年8月の衆院選に大阪6区から民主党公認で出馬し、初当選。2012年の消費増税をめぐる政局では、野田内閣による消費増税法案の閣議決定に抗議して党幹事長補佐の辞表を提出し、4月23日の党役員会で受理された。6月26日の衆議院本会議で行われた消費増税法案の採決では、党の賛成方針に反して反対票を投じた。7月2日には山岡賢次らを介して離党届が提出された。民主党は7月3日の常任幹事会で離党届を受理せず除籍処分とする方針を決定し、7月9日の常任幹事会で正式決定した。 同年7月11日に国民の生活が第一の結党に参加した。その後、日本未来の党に合流。2012年12月の衆院選に大阪6区から日本未来の党公認で出馬し、比例近畿ブロックで復活当選(2期目)。2014年12月の衆院選に大阪6区から生活の党公認で出馬するも、候補者3人中3番目の得票数で落選。その後、生活の党が生活の党と山本太郎となかまたちを経て自由党に党名変更後も、引き続き大阪府第六区総支部の総支部長を務めた。 2017年の第48回衆議院議員総選挙直前に起きた希望の党を巡る野党再編の混乱を受け、自由党は同選挙において候補者に公認を出さないことを発表した。これを受け、大阪6区から立憲民主党公認で出馬し、小選挙区で敗れたものの比例復活で国政復帰。 2021年(令和3年)10月31日投開票の第49回衆議院議員総選挙で落選。
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国会にて
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2009年に行われた第45回衆議院議員総選挙では民主党公認で千葉2区から出馬し、初当選した。2009年7月21日、小沢一郎の政治団体「陸山会」より500万円の寄付を受けた。また、2010年9月民主党代表選挙では小沢に投票した。2011年6月2日の衆議院本会議で行われた菅内閣不信任決議案の採決では、党の反対方針に反して棄権した。民主党は6月13日の役員会で厳重注意処分とする方針を決定し、6月25日の常任幹事会で正式決定した。2012年の消費増税をめぐる政局では、6月26日の衆議院本会議で行われた消費増税法案の採決で、党の賛成方針に反して反対票を投じた。7月2日には山岡賢次らを介して離党届が提出された。民主党は7月3日の常任幹事会で離党届を受理せず除籍処分とする方針を決定し、7月9日の常任幹事会で正式決定した。 同年7月11日、国民の生活が第一結党に参加した。同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙に日本未来の党公認で千葉2区から出馬するも、4位に終わり得票数を前回の5分の1に減らし比例復活もならず落選。2014年には第47回衆議院議員総選挙に生活の党公認で千葉2区から出馬に意欲を示していたものの、維新の党との競合を理由に出馬を断念した。その後、生活の党が「生活の党と山本太郎となかまたち」を経て「自由党」に党名変更後も、引き続き千葉県第二区総支部の総支部長を務めた。しかし、2017年の第48回衆議院議員総選挙では直前に起きた希望の党を巡る野党再編の混乱を受け、自由党は同選挙において公認候補者を擁立しないことを決定したため、出馬しなかった。 2020年5月、旧立憲民主党千葉2区支部長に就任した。その後、9月の新立憲民主党の結党に参加している。2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙に千葉2区から出馬するも落選。
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