1945年 対馬海峡-黄海
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「隠岐 (海防艦)」の記事における「1945年 対馬海峡-黄海」の解説
横須賀海軍工廠で修理中の1945年(昭和20年)2月26日、鎮海警備府作戦指揮下に編入。3月5日、第一護衛艦隊麾下の第百三戦隊(愛司令官久宗米次郎少将、旗艦「春月」)に編入された。9日、館山発。11日に徳山の第三海軍燃料廠で燃料を補給し、12日門司着。13日、鎮海に到着したがヒ94船団(東亜丸)護衛のため鎮海を出港。同船団を対馬北方まで護衛し、護衛後の15日、荷衣島に回航し戦隊旗艦春月と合流。20日、荷衣島を出港しジャカルタ丸を東経133度線まで護衛。21日、シモ01船団を護衛し黒山島沖で対潜掃蕩中の鵜来の増援に向かう。25日まで現地で掃蕩を行い、哨区に向かう。26日、北緯35度18分 東経123度15分 / 北緯35.300度 東経123.250度 / 35.300; 123.250付近でアメリカ潜水艦バラオの攻撃により第一新東丸が撃沈されたため、第19号駆潜艇とともに現場へ向かい対潜掃蕩を行う。28日、北緯34度50分 東経122度28分 / 北緯34.833度 東経122.467度 / 34.833; 122.467付近で浮上潜水艦の発見報告があり、現場へ向かい対潜掃蕩を行うが敵情を得ず、対潜掃蕩を31日で打ち切り荷衣島に帰投。 4月上旬は木浦周辺で対潜掃蕩に従事。4月14日、第二十号掃海艇とともに青島へ回航のため木浦発。19日、青島を出港してモ705船団第1分団を大東湾まで護衛。20日、モ705船団第2分団(8隻)を護衛するため大東湾発。21日に同分団と合同し、25日荷衣島着。第百三戦隊司令官は将旗を春月から隠岐に移揚し、同日船団(5隻)を護衛して荷衣島発。27日鎮海着。 6月2日、フタ01船団(彌彦丸)を護衛し釜山発。船団が荷衣島に仮泊したところで隠岐は船団から分離。20日、タフ船団(5隻)を護衛し青島発。7月1日、長山串沖北緯38度06分 東経124度36分 / 北緯38.100度 東経124.600度 / 38.100; 124.600の地点でアメリカ潜水艦ハッドの攻撃を受け第一大雲丸、坤利号、新蜜紹号、第72号海防艦が被雷沈没。隠岐は爆雷戦と遭難者の救助を行い、残された船を釜山まで護衛。終戦時は朝鮮半島南部に所在。
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