1945年 対馬海峡-黄海とは? わかりやすく解説

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1945年 対馬海峡-黄海

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:04 UTC 版)

隠岐 (海防艦)」の記事における「1945年 対馬海峡-黄海」の解説

横須賀海軍工廠修理中の1945年昭和20年2月26日鎮海警備府作戦指揮下に編入3月5日第一護衛艦隊麾下第百三戦隊(愛司令官久宗米次郎少将旗艦春月」)に編入された。9日館山発。11日徳山第三海軍燃料廠で燃料補給し12日門司着。13日鎮海到着したがヒ94船団東亜丸護衛のため鎮海出港同船団を対馬北方まで護衛し護衛後の15日、荷衣島に回航戦隊旗艦春月合流20日、荷衣島を出港しジャカルタ丸を東経133度線まで護衛21日シモ01船団護衛し黒山島沖で対潜掃蕩中の来の増援に向かう。25日まで現地掃蕩行い、哨区に向かう。26日北緯3518東経12315分 / 北緯35.300度 東経123.250度 / 35.300; 123.250付近アメリカ潜水艦バラオ攻撃により第一新東丸が撃沈されたため、第19号駆潜艇とともに現場向かい対潜掃蕩を行う。28日北緯3450東経12228分 / 北緯34.833度 東経122.467度 / 34.833; 122.467付近浮上潜水艦発見報告があり、現場向かい対潜掃蕩を行うが敵情得ず対潜掃蕩31日打ち切り荷衣島に帰投4月上旬木浦周辺対潜掃蕩従事4月14日第二十号掃海艇とともに青島回航のため木浦発。19日青島出港して705船団第1分団大東湾まで護衛20日、モ705船団第2分団(8隻)を護衛するため大東湾発。21日同分団と合同し25日荷衣島着。第百三戦隊司令官将旗春月から隠岐に移揚し、同日船団(5隻)を護衛して荷衣島発。27日鎮海着。 6月2日フタ01船団彌彦丸)を護衛し釜山発船団が荷衣島に仮泊したところで隠岐船団から分離20日タフ船団(5隻)を護衛し青島発。7月1日長山串北緯38度06東経12436分 / 北緯38.100度 東経124.600度 / 38.100; 124.600の地点アメリカ潜水艦ハッド攻撃を受け第一丸、坤利号、新蜜紹号、第72号海防艦被雷沈没隠岐爆雷戦と遭難者の救助行い残された船を釜山まで護衛終戦時朝鮮半島南部所在

※この「1945年 対馬海峡-黄海」の解説は、「隠岐 (海防艦)」の解説の一部です。
「1945年 対馬海峡-黄海」を含む「隠岐 (海防艦)」の記事については、「隠岐 (海防艦)」の概要を参照ください。

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