1945年 第百二戦隊
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「御蔵 (海防艦)」の記事における「1945年 第百二戦隊」の解説
船団護衛中の1945年1月1日、第一護衛艦隊隷下に新編された第百二戦隊に編入。ヒ87船団は、3日舟山島錨地、6日基隆にそれぞれ寄港。本艦は9日、単艦で高雄へ回航。12日、タモ35船団を護衛して門司へ向け高雄発。船団は14日舟山島、16日加徳水道にそれぞれ避泊し、17日門司着。18日、本艦は佐世保へ回航し、19日から22日まで佐世保海軍工廠で修理を実施。23日、門司へ回航。26日、モス01船団を護衛して汕頭へ向け門司発。2月5日、汕頭着。 2月9日、スシ01船団第一分団を護衛して上海へ向け汕頭発。10日、視界不良のため停止した本艦に第33号海防艦が触衝する。16日、上海着。本艦は第一海軍工作部で修理を実施。20日、舟山島定海へ回航。定海在泊中の22日、第百二戦隊と第九三一海軍航空隊は南号作戦支援のため潜水艦撃滅を目的としたAS1作戦部隊に編入され、哨区で行動。 3月6日、第34号海防艦とともに対潜掃蕩を実施。9日、第33号海防艦と共同で、ユモ01船団を護衛中に損傷し航行不能となった第69号海防艦を救難する。第33号海防艦が第69号海防艦を曳航し、本艦がそれらの護衛にあたる。12日、AS1作戦終了。13日、第百二戦隊はAS2作戦部隊に編入。16日、風浪により第69号海防艦が沈没したため、本艦らは乗員を救助し香港へ回航。17日、AS2作戦終了。18日、本艦は船団(2隻)を護衛して内地へ向け香港発。内地へ向け航行中の19日、第百二戦隊はAS3作戦部隊に編入。26日、門司着。27日、豊後水道で第二艦隊第一遊撃部隊の前路警戒を行うため佐伯で練成中の海防艦男鹿、目斗、第59号海防艦、第65号海防艦および特設掃海艇3隻が第三対潜掃討隊として編成された。また、応援として香港から門司に帰投していた本艦と第33号海防艦、それに佐伯防備隊の特設駆潜艇が追加され、さらに磁気探知機を搭載した佐伯航空隊の航空機も動員された。配備点や哨戒方法は27日中に決定した。海防艦は27日に本艦と第33号海防艦が門司を、翌3月28日に男鹿以下4隻が佐伯を出撃。第三対潜掃討隊は水ノ子島灯台を越えた辺りから針路を真南に固定し捜索を開始。第三対潜掃討隊の各艦は3海里から4海里離れた単横陣隊形をとり、第65号海防艦が一番西側に位置した。午前10時27分ごろ、航空機が潜水艦を探知するも、すぐに見失う。それでも午後0時ごろから本艦と第33号海防艦が合流し、第65号海防艦の西側1,000メートルを単縦陣で位置し、第59号海防艦とともに探知場所に急行した。そして13時ごろから爆雷攻撃を行った結果、大きな噴煙が2つ上がった。この地点は鶴御崎の180度39.5海里あるいは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯32度16分 東経132度05分 / 北緯32.267度 東経132.083度 / 32.267; 132.083と記録されている。翌3月29日午前に再観測すると、攻撃地点からは濃い油帯が流れ出ていた。この攻撃で、アメリカ潜水艦トリガー(USS Trigger, SS-237)を撃沈し、本艦はそれに関与したとされる。 同日夕方ごろ、九州南方で消息不明となり亡失認定。一緒にいた第33号海防艦も空襲で撃沈された。The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIなどアメリカ側の記録では、同日、本艦はアメリカ潜水艦スレッドフィン(USS Threadfin, SS-410)の雷撃により撃沈されたとしており、日本側資料の中にもこれを引用したものがある。16時45分、第33号海防艦が北緯31度45分 東経131度45分 / 北緯31.750度 東経131.750度 / 31.750; 131.750の地点で敵機を発見し報告しているが、この地点はアメリカ側の記録でスレッドフィンが御蔵を撃沈したとしている地点、また "The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II" に記載されている第33号海防艦の沈没地点とほぼ同一である。他に、Roscoe ではスレッドフィンの単独撃沈となっており、第33号海防艦はホーネット (USS Hornet, CV-12) 機による撃沈となっている。木俣『敵潜水艦攻撃』および『日本海防艦戦史』、第一護衛艦隊戦時日誌(昭和20年3月1日-31日)、第百二戦隊戦時日誌(昭和20年3月1日-31日)ではスレッドフィンによる撃沈とはしていない一方で、『海防艦戦記』の御蔵の項では、第65号海防艦航海長の目撃談として「敵機動部隊の飛行機と潜水艦の攻撃を受け、1200頃御蔵は敵潜水艦の雷撃を受け沈没、生存者なしという」としている。御蔵を真に撃沈したのがスレッドフィンなのか第58任務部隊機なのか、あるいは共同で撃沈したのかは結論としては不明であるが、前述のように、少なくともRoscoe では共同戦果としては認定されていない。 御蔵海防艦長小田隆輔少佐以下乗員216名、第33号海防艦長森本正春少佐以下乗員171名は全員戦死し、生存者はいない。 5月25日、御蔵は御蔵型海防艦から削除され、帝国海防艦籍から除かれた。御蔵の艦名は海上自衛隊の掃海艇「みくら」に引き継がれた。
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