1945年 第百二戦隊とは? わかりやすく解説

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1945年 第百二戦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 17:41 UTC 版)

御蔵 (海防艦)」の記事における「1945年 第百二戦隊」の解説

船団護衛中の1945年1月1日第一護衛艦隊隷下新編された第百二戦隊編入ヒ87船団は、3日舟山島錨地6日基隆それぞれ寄港本艦9日、単艦で高雄回航12日タモ35船団護衛して門司へ向け高雄発。船団14日舟山島16日加徳水道それぞれ泊し17日門司着。18日本艦佐世保回航し、19日から22日まで佐世保海軍工廠修理実施23日門司回航26日モス01船団護衛して汕頭へ向け門司発。2月5日汕頭着。 2月9日スシ01船団第一分団護衛して上海へ向け汕頭発。10日視界不良のため停止した本艦に第33号海防艦が触衝する。16日上海着。本艦第一海軍工作部修理実施20日舟山島定海回航定海在泊中の22日第百二戦隊第九三一海軍航空隊南号作戦支援のため潜水艦撃滅目的としたAS1作戦部隊に編入され、哨区で行動3月6日、第34海防艦とともに対潜掃蕩実施9日、第33号海防艦共同で、ユモ01船団護衛中損傷し航行不能となった69海防艦救難する。第33号海防艦が第69海防艦曳航し本艦がそれらの護衛にあたる。12日、AS1作戦終了13日第百二戦隊はAS2作戦部隊に編入16日風浪により第69海防艦沈没したため、本艦らは乗員救助し香港回航17日、AS2作戦終了18日本艦船団(2隻)を護衛して内地へ向け香港発。内地へ向け航行中19日第百二戦隊はAS3作戦部隊に編入26日門司着。27日豊後水道第二艦隊第一遊撃部隊の前路警戒を行うため佐伯練成中海防艦男鹿、目斗、第59海防艦、第65号海防艦および特設掃海艇3隻が第三対潜掃討隊として編成された。また、応援として香港から門司帰投していた本艦と第33号海防艦、それに佐伯防備隊特設駆潜艇追加され、さらに磁気探知機搭載した佐伯航空隊航空機動員された。配備点や哨戒方法27日中に決定した海防艦27日本艦と第33号海防艦門司を、翌3月28日男鹿以下4隻が佐伯出撃第三対潜掃討隊は水ノ子島灯台越えた辺りから針路真南固定し捜索開始第三対潜掃討隊の各艦は3海里から4海里離れた横陣隊形をとり、第65号海防艦が一番西側位置した午前10時27分ごろ、航空機潜水艦探知するも、すぐに見失う。それでも午後0時ごろから本艦と第33号海防艦合流し、第65号海防艦西側1,000メートル単縦陣位置し、第59海防艦とともに探知場所に急行した。そして13時ごろから爆雷攻撃行った結果大きな噴煙2つ上がった。この地点鶴御崎の180度39.5海里あるいは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯3216東経13205分 / 北緯32.267度 東経132.083度 / 32.267; 132.083と記録されている。翌3月29日午前に再観測すると、攻撃地点からは濃い油帯が流れ出ていた。この攻撃で、アメリカ潜水艦トリガー(USS Trigger, SS-237)を撃沈し本艦はそれに関与したとされる同日夕方ごろ、九州南方消息不明となり亡失認定一緒にいた第33号海防艦空襲撃沈された。The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIなどアメリカ側記録では、同日本艦アメリカ潜水艦スレッドフィン(USS Threadfin, SS-410)の雷撃により撃沈されたとしており、日本資料中にもこれを引用したものがある。16時45分、第33号海防艦北緯3145分 東経13145分 / 北緯31.750度 東経131.750度 / 31.750; 131.750の地点敵機発見し報告しているが、この地点アメリカ側記録スレッドフィン御蔵撃沈したとしている地点、また "The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II" に記載されている第33号海防艦沈没地点とほぼ同一である。他に、Roscoe ではスレッドフィン単独撃沈となっており、第33号海防艦ホーネット (USS Hornet, CV-12) 機による撃沈となっている。木俣『敵潜水艦攻撃』および『日本海艦戦史』、第一護衛艦隊戦時日誌昭和20年3月1日-31日)、第百二戦隊戦時日誌昭和20年3月1日-31日)ではスレッドフィンによる撃沈とはしていない一方で、『海防艦戦記』の御蔵の項では、第65号海防艦航海長目撃談として「敵機部隊飛行機潜水艦攻撃を受け、1200御蔵は敵潜水艦雷撃を受け沈没生存者なしという」としている。御蔵真に撃沈したのがスレッドフィンなのか第58任務部隊機なのか、あるいは共同撃沈したのかは結論としては不明であるが、前述のように、少なくともRoscoe では共同戦果としては認定されていない御蔵海防艦長小田隆輔少佐下乗216名、第33号海防艦長森本正春少佐下乗171名は全員戦死し生存者はいない。 5月25日御蔵御蔵型海防艦から削除され帝国海防艦籍から除かれた。御蔵艦名海上自衛隊掃海艇「みくら」に引き継がれた。

※この「1945年 第百二戦隊」の解説は、「御蔵 (海防艦)」の解説の一部です。
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