1924年 - 1945年7月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 06:33 UTC 版)
「青函連絡船」の記事における「1924年 - 1945年7月」の解説
日本初の車載客船、1925年(大正14年)8月から車両航送を開始した。1942年(昭和17年)以降は戦時下の鉄道貨物輸送の増加に対応するためW型戦時標準船が急ピッチで建造されたが、1945年(昭和20年)7月の空襲で青函連絡船は一時全滅し、終戦直後稼働できたのは第七・第八青函丸の2隻のみであった。 新製配属 車載客船 翔鳳丸型 翔鳳丸(浦賀)1924年(大正13年)5月21日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲沈没。青函航路初の車両渡船。 津軽丸(初代)1924年(大正13年)10月11日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲沈没。 松前丸(初代)1924年(大正13年)11月11日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲炎上座礁。 飛鸞丸1924年(大正13年)12月30日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲沈没。 貨車航送船 青函丸戦前型 第一青函丸貨車航送船の第一船。1926年(大正15年)12月12日、就航。1945年(昭和20年)7月15日、空襲沈没。 第二青函丸1930年(昭和5年)9月1日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲沈没。 第三青函丸(浦賀)1939年(昭和14年)11月25日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲沈没。 第四青函丸(浦賀)W型戦時標準船の原型。1943年(昭和18年)3月6日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲沈没。 貨車航送船 W型戦時標準船 第五青函丸(浦賀)1944年(昭和19年)1月14日、就航。1945年(昭和20年)3月6日、強風により青森港北防波堤に接触して沈没。 第六青函丸(浦賀)1944年(昭和19年)3月19日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲沈没。1947年(昭和22年)2月2日、浮揚復航し車載客船化。1964年(昭和39年)5月3日、終航。同年8月、三菱商事に売却。 第七青函丸(浦賀)1944年(昭和19年)7月20日、就航。1947年(昭和22年)9月、デッキハウスを造設し車載客船化。1964年(昭和39年)12月31日、終航。1965年(昭和40年)8月、三井物産に売却。 第八青函丸(浦賀)1944年(昭和19年)11月22日、就航。1946年(昭和21年)4月30日、デッキハウスを造設し車載客船化。1964年(昭和39年)11月30日、終航。1965年(昭和40年)1月、日綿実業に売却。 第九青函丸(浦賀)1945年(昭和20年)2月15日、竣工。同年2月27日、函館へ回航中に勝浦沖で米潜水艦を警戒して座礁。一度も営業就航することなく沈没。 第十青函丸(浦賀)1945年(昭和20年)6月1日、就航。同年7月14日、空襲沈没。 航路転属 貨物船 新羅丸元・関釜連絡船。1942年(昭和17年)6月10日、転属就航。1945年(昭和20年)5月25日、触雷沈没。 貨客船 亜庭丸元・稚泊連絡船。1945年(昭和20年)7月23日、転属就航。1945年(昭和20年)8月10日、空襲沈没。
※この「1924年 - 1945年7月」の解説は、「青函連絡船」の解説の一部です。
「1924年 - 1945年7月」を含む「青函連絡船」の記事については、「青函連絡船」の概要を参照ください。
- 1924年 - 1945年7月のページへのリンク