村崎学園設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 06:29 UTC 版)
香川県・小豆島の醤油屋の娘に生まれる。父は町長を務めており、小豆島で初めての小学校を創立した人物である。愛媛県で初めての女性教員となった後、徳島県で教職についた。 1895年に「女も独り立ちが出来ねばならぬ」の精神により私立裁縫専修学校(現在の徳島文理大学の前身)を創立。 1924年には徳島女子職業学校(現在の徳島文理高等学校の前身)を併設。当時はあまり女性が社会に出ることの少なかった時代だった為、サイは女性の社会進出と自立を目標としていた。 1945年7月4日、徳島市を襲った徳島大空襲により学園は焼失、サイ自身もこの時に死亡した。また夫との間に子供ができなかったので、自分の生徒を養女にした。
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