女子職業学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 12:13 UTC 版)
1905年(明治38年)時点で、公私立の徒弟学校は46校(うち私立3校)であったが、1912年(大正元年)には107校(うち私立4校)と増加、生徒数も約3倍となった。しかしこの増加分の多くは、染織・機織・裁縫・造花・養蚕・手芸などを教える女子校が占めており(女子校は15校→64校)、「徒弟学校」の範疇では多数(全体の60%)を占めることとなった。 この背景として、1900年(明治33年)の小学校令改正によって小学校専修科が廃止された際、女子に対する裁縫等の教育機関が根拠となる法令を失い、小学校付設の各種学校となったことが挙げられる。こうした学校は、しだいに教育法令により制度化されている学校(実科高等女学校、実業学校、実業補習学校など)に移行していくが、その中には徒弟学校規程に準拠した徒弟学校の形態を選んだ学校もあったのである。
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